震災復興税

今年もツバメがやってきて巣作りをしようとしている軒下にはしめ縄が飾られている。伊勢地方と同じように豊橋でも一年中しめ縄を飾る風習がある。ボクの生まれ育った九州では小正月に「どんど焼」でしめ縄や門松、お飾りの餅なんてものを焼く。
今年はツバメが多いような気がする。東北に行く予定だったツバメたちが行き場所を失くしてここいらを彷徨っているのだろう、なんてことを考えてしまう。そんなツバメたちは軒下のしめ縄に驚いていたり、なにか微妙に違う空気みたいなものに戸惑っているに違いない、そんなことを考えている日曜日の朝。休日は相変わらず引籠っている。
飢えや餓えが満たされ、眠れる屋根が確保されたとしても、失ったものは戻ってこない。仕事もそうだ。この震災で多くの人が失業した。そしてこれから失う人も多くなる。今はまだそのことについて悲嘆する時間がなくても、やがて人々の心の復興を遠いものにする。
アリさんマークの引越社が被災者200人を採用したそうだ。雇用の逆差別はあってはならないにしても、被災地枠みたいなものを各企業が設けることをボクたちは受け入れるべきだと思う。
仮設住宅と同じように仮の職業も今は必要だ。期間工や非正規による雇用の創出も効果的だ。2年11か月の雇用期間制限もちょうど良い期間のように感じる。3年あれば何かが変わっているだろう。
キャッシュ・フォー・ワーク(CFW)ということも考えた方がいい。

被災者に一時的な雇用機会を確保し、最低限の収入を維持しながら、地域経済の自立的な復興を支援すること。
被災者自身が自らの地域の復興に直接関わることによって、被災者に尊厳と将来への希望を取り戻し、地域の絆を高めること。
CFW-Japan提案(永松私案) | 減災雑感

「尊厳と将来への希望」こそが被災者にとってというより、人間にとって必要なことなのだ。
いや、もうベーシックインカム導入しかないかもしれない。ワークシェアでの経済停滞を憂慮するなら、雇用創出による対費用効果を疑問視するのなら、そして崩壊寸前の年金なんてものを考えると、そのほうが良いかもしれない。
復興税の話が出ている。ボクはけっこうなことだと思っている。賛成である。人々や企業による義捐にも限界があるだろう。1個のオニギリは難しいとしても、その半分、いやまたその半分ならばそう難しいことではないのではないかと思う。
何度も書くようだけれど、労働して消費することはそのまま国益になる。納税するということはそういうことだ。「働く」という意味意義は、結局は相互扶助なのだ。「人のためになることを」なんて職業観をわざわざ課さなくても、人は生きているだけで人のためになる。
震災が教えてくれた。「がんばろう日本」というキャンペーンがいろいろな形で行われている。そのメッセージはなにも被災した人たちに向けてではなくて、ボクたちにも向けられている、そう思う。
灯明

1件のコメント

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    【地震】「復興税」の創設検討も 復興構想会議(11/04/15)―【私の論評】あほ、馬鹿、まぬけ、脳天気、KY、ぽんつくな政治家・官僚にまともな復興はできない!!
    ブログ名:「Funny Restaurant 犬とレストランとイタリア料理」
    こんにちは。震災の復興を考えるにおいて、最初に、財源、復興税ありきでものを考える政治家・官僚は、ほんとうに始末に終えません。こういう人たちには、一切、復興などの口をはさませないようにすべきてす。こういう人たちは、日本の経済や復興を主婦感覚で捉えているのだと思います。主婦感覚は、無論家庭においては悪いことではないですが、これでは国の経済や復興を考えることはできません。主婦感覚の最たるものは、国の中で、お金は天下の回り物であるという考えができないということです。それに、こうした考えができないため、経済に関する書籍や論文を読むときには行間を読めない、現実の経済や復興に関して考えるときに、シミレーションができないということになるのだと思います。詳細は、是非私のブログを御覧になってください。

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