いつの間にか桜が咲いていた。そして散ろうとしている。
あれからひと月が過ぎ去ったのだけれど、ボクの生活は3月11日以前も以後もそれほど変わらぬままだ。ただ、涙する回数が増えた。テレビや新聞で映し出される被災地の映像は、その過ぎ去った時間の分、悲しみを増幅させている。
圧倒的な悲しみの前で、相変わらずの日常を淡々と送っているボクは、無力さや後ろめたさなんてものを感じてはいる。多くの人がそうだと思う。ボクと同じような感覚の中で生活をしていると思う。きっと。
給料日にはその中からいくらかを義捐金として募金する。買い物をすれば募金箱に釣銭を入れる。そうすることによって精神的なバランスを保っている人も多いと思う。
だけれど、それはまだボクたちにまだ余裕があるから出来ることだし、まだボクたちが援助する側という安全地帯にいるから出来ることなのだろう。例えば余分なオニギリを持っていて、そのひとつを差し出しているだけで、空腹の状態でひとつのオニギリを分かちあえるかというと、きっとそれは難しいのではないかと思う。
借金してまで募金する人は、いるにしても、かなり稀だと思う。「文七元結」の長兵衛のように人助けのために通りすがりの人に50両なんて大金をポンと与えられるだろうか。
今は避難し寝ることや食べることで精いっぱいの人たちも、住居や職を必要とし始める。「援助」されるということは、かなり窮屈なことだし、人の尊厳にも関わることだ。故郷を離れ移住する人たちもいる。この豊橋でも数家族が公営住宅に移ってきた。トヨタ自動車でも社員の関係者を富士見社宅に受け入れるということが決まったと聞く。そういう人たちも、次は仕事が必要になってくる。
減給覚悟で被災地の人たちにワークシェアするという大企業の組合員はいないのだろうか。組合員の雇用を守るのが精いっぱいなのは分かるにしても、2年~3年ほどの期間従業員として雇用するということはできないものだろうか。1割の減給で例えば7万人規模の企業だと7000人の雇用が創出できる。空いている寮や建設途中の寮を使えば、いやリーマンショック以前はそれぐらいの期間従業員はいたのだし…。
10個あるオニギリのひとつを分けるということは難しいことなのだろうか。やっぱりそれとこれとは別なんだろうか。この先ずっとということではなくて「期間工」としてなのだけれど。
給料日にはオニギリひとつを募金する。それでもまだボクには9個ある。そしてその9個でも同じような日々を送っている。10個を毎月確保することが、今ボクがやらなければいけないことだと思っている。
久しぶりにブログを更新できた。
このひと月と言ったら、気持ちが塞がり気味だった。タクシー業界(と言ってもボクの周辺限定のことなんだけれど)は、歓送迎会やお花見が少なかったせいか、それにトヨタ自動車なんかが稼働してないせいか、前年比2割減なんて数字のようだ。
運転手の収入もそれに比例するので、史上最悪みたいな感じになっているらしい。ボクも手取り10万円台なのだけれど、まあ、なんとか普通に生きている(何が普通なのかは分からないのだけれど)。家族持ちの人たちにとってはかなり厳しいと思う。というか独身率がかなり高い業界でもあるのだけれど…。
今日は花見をした。と言ってもひとり花見だったのだけれど、それはそれでけっこう楽しいし、それはそれで幸せなことなのだろうと思った。
2011年の桜

5件のコメント

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    >>減給覚悟で被災地の人たちにワークシェアするという大企業の
    >>組合員はいないのだろうか。~
     
    皮肉にも、その組合員さんらが集まる労働組合が支持母体となっているのが
    今の政府与党です。
    とはいえ、そのへんのところを政府は考えているのかと思えば、現在のところ、
    それだけの余裕もないように見えますし...
    オニギリ10個を毎月確保することが今やらなければいけないことは大事な
    ことだと思いますし、考えさせられるところですね。
    私思うに、16年前に阪神淡路大震災があって、その時も義援金とか支援物資
    が全国から沢山集まってきました。しかし、今回の震災と違っているところは、
    被災の規模は無論ですが、日本の経済状況も違っていて、阪神淡路の時は
    まだ全国的に大企業から中小企業まで企業体力が幾らかあって、当時も
    景気は良くなかったけど、今ほど悪くなかったように思います。
    あれから16年たって、景気が更に悪くなり、デフレからも脱すること
    もできず、大企業は幾らか景気が回復したかと思いますが、下請け中小企業
    は企業体力が弱りきっている状態。それでも何とかリーマンショック以前の状態に近づいたかと思えば、そこへ今回の
    震災が起こり...
    被災地の支援も復興も無論大事ですが、被災規模と今の景気状況を考えると、
    義援金にしろ何らかの支援にしろ、企業から
    一個人まで出来る範囲には、やはり限界があると思います。被災地以外の
    ところでも皆それぞれ生活がかかっているので...
    震災の影響が被災地でない我々にもきています。行事の自粛とか中止で人が
    外に出ないからタクシーとか飲食店も人が入らない。
    タクシーとかの車両の補修部品も入ってこない。
    今は頑張るというよりも、じっと耐える時期なのかもしれません。

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    ジュンさん、こんにちは。
    募金が出来なくても、納税するということが国を支えることなのでしょうしね。これから少し何かが変わるかもしれませんが、それを受け入れる寛容さみたいなものが必要になるのかもしれませんね。
    写真は、どうなんでしょうかね。ありがとうございます。

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    焼山さん、こんにちは。
    徳島県もいろいろな支援を打ち出していますね。
    ボクも、次はいつ四国にいけるか全くわかりません。今のタクシー会社を辞めたら行けるのでしょうけれど。
    もう少し、ゆっくり歩いてみたい、なんて思ったりもします。
    徳島市内のタクシー会社、ヤサカタクシーだたっかな、歩き遍路には有名なタクシー会社、そこに就職しようかと思うこともあります。
    祈る心、そういったものは大切だと思います。瀬戸内寂聴さんの「忘己利己」という雑誌に寄せた説法にもそんなことが書いていました。
    きっと、その祈りは報われることだろうと思います。

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    私も募金はしたけど、田原笠山さんのように給料日ごとにはしていません。
    海外からもたくさんの支援が届く中、同じ日本人として申し訳なくなります。やはり、離れたところに住んでいる私にできることは募金くらいじゃないかと思うので、これからも少しずつでも続けようと思います。
    今日の写真、桜ではなくタンポポに焦点が合っているあたり、すごくいいと思いました。

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    お渡しするべき「オニギリ」の質と量とその期間については、いつも考えさせられます。
    私も少しでも「オニギリ」をお送りすることで、画面からのみ遠巻きに見ている自分をなんとか保っています。
    心の支援部隊で派遣されていた同僚は「力の無さを思い知った」といいました。
    そして「こちらの勝手な想像での関わりなどただの押し付けに過ぎず、かえって迷惑だったり、実は必要なことでも(差し出し方)によっては受け入れてもらえない。支援部隊なんて枠で関わるから余計に構えられてしまう。やはり心の苦しみは分かち合えた部分がないと分けてもらえない。ひとつのオニギリを分かち合い共に復興に汗を流さないと本当の心のケアなど出来やしない」と語っていました。
    となると色々考えずに、オニギリを増やすことに力を注ぐのは大事なことなんでしょうね。
    本当はオニギリ工場を持っていければ良いのでしょうが…。
    今年中に再び巡ります。更に心を込めて唱えたいと思います。

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