若者のクルマ離れ
あの頃、ボクはノートにランボルギーニやフェラリー、ポルシェやロータスなんてクルマの絵を描くのが好きだった。
上手くはなかったのだけれど、授業中といい休み時間といい、とにかく暇があると描いていた。将来の夢は、職業ということよりもそれらのクルマを買うことだったりもした。何の職業に就きたいかというよりも、何を買いたいか、ということのほうがとても大切なことのように思っていた。
発展するあるいは拡大する消費経済は、ボクたちに希望とか夢をまず眼前に展開してくれた。貧しさも平等だったのだけれど、そういった可能性も平等にあった時代だった。
サーキットの狼
池沢さとしの「サーキットの狼」が少年ジャンプに連載され、スーパーカーブームがボクたち少年のクルマへの憧れを加速していった。「サーキットの狼」には確かにスーパーカーというモンスターも登場したいたのだけれど、トヨタセリカとかマツダサバンナなんて国産車も登場していて、ランボルギーニやフェラーリなどとは性能として劣るとはいえ、クルマの楽しさみたいなものを、そして夢の可能性として、ボクたちの手の届く位置にあることを証明していた。
親戚のお兄さんがRX3を買ったり、近所の人がリフトバックを買ったりで、サーキットの狼ブームの熱はかなり速くボクの住む地方にも伝導してきた。子供であるボクたちは、そういった国産車の前に集まって、クルマの話をよくした。こっそり触ったりもして、クルマを見るだけでワクワクしていた。スーパーカーの展示会なんてのも開催されていた。
真っ赤なポルシェ
1978年に「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ」なんて唄を百恵ちゃんが歌って、そのスーパーカーブームはボクの中ではピークに達し、そしてそれは百恵ちゃんにシフトしていった。ボクは山口百恵のファンとなって、ファンレターなんてものを書くようになった。それ以前も以来もファンレターなんてものは書いたことがないのだけれど、なぜか百恵ちゃんもそんなに遠くない存在のように感じていた。
よく分からないままに母親に頼んで「伊豆の踊り子」を観にいった。小学生のボクは川端康成の文芸作品ということよりも、ただただ百恵ちゃんを観たかっただけだった。あの、例えば、夜の線路のような、その線路が鈍く光る感じ、あるいはそこに溜まった夜の滓みたいなものが舞い上がる朝方の生暖かい感じみたいな笑顔が、好きだったのだ。ああ、そう言えば、蒼井優さんも、なんとなくそんな感じがする。
全てのもの、その発展し拡大する消費経済は、平等に貧しかったボクたちに、同じように平等に夢を与えてくれた。それはボクが子供だったからという単純な理由だけではなくて、この国自体に希望があったし夢があったし、親も教師も政治もマスコミも全部が将来に対して同じ感覚を共有していたからだと思う。「明日がある」ということが実感できた季節だったのだ。
自作カウンタック
少し前、中国の人がカウンタックを自作したというニュースを見た。
25万円でランボルギーニ・カウンタックを自作した男(ロケットニュース24) – livedoor ニュース
もうこんなことをする日本人はいないように思うのだけれど、あの頃の日本にはあったように思う。若者のクルマ離れ。
クルマを作る側、メーカーにもそんな熱みたいなものがあって、値段とかコストとかエコとか安全なんていう画一的なモノづくりの思想ではなくて、もっと文学的なもの、あるいは情緒的なものがあったのではないかと思う。それが次第に欠落していった結果、ボクたちのクルマに対する興味も薄れてしまった。子供たちは、ボクたちがしたように、ノートにクルマの絵なんて描かなくなった。だって、ほとんど同じようなクルマの形になってしまったのだし。
【トヨタ新時代】第2部 走る楽しみ(上)若者の車離れ (1/3ページ) – MSN産経ニュース
トヨタ自動車の豊田章男社長は「クルマから離れているのは若者ではなく、私たちメーカーなのではないかと思う」と反論する。
若者のクルマ離れ
メーカーが若者のクルマ離れをつくった。メーカーのイマジネーションの欠落。全ての製造業に言えることなんだろうけれど、顧客のほうを向くというよりも、どちらかというと株主のほうをむいた経営、そういったことがコスト主義、利益優先主義みたいなものを加速して、そしてつまらない形の、つまらない性能の、つまらないクルマばかりになった。
「ものづくり」を捨てて「儲け」に走ったのだから、こういった結果になるのは分かっていたのではないか。そして非正規社員なんて雇用システムまで作り上げて、クルマを買う余裕のない若者を多く造り出したのが自動車産業ではないのか。貧しいから買えないのではないのだよ。希望がないから買えないということなのだ。将来への不安、たとえ貯蓄があってもそれを使えない不安が問題なのだ。
希望を喪失した社会。そして夢を捨てた企業。
クルマがエコやコストなんてものに憑依された今となっては、ボクたちはあの頃のようには戻れないと思う。というか、ボクたちに必要なのは希望とか夢なんて生きるための基本的なことなんだろうけれど…。
夜、松葉町あたりで。明け方の街は、まだ少し希望があるように思う。
蒼井優写真集 「ダンデライオン」 |蒼井 優
蒼井優写真集 「ダンデライオン」蒼井 優ロッキングオン 刊発売日 2007-09…
考え中さん、こんにちは。
手に入れたもの…、なかったかなあ。結局、諦めだけが人生だ、みたいな人生だったりで。
遠くにある時は、夢や希望であっても、
近づくにつれ現実味を帯び、手に入れたとたん、
ゴミになったりしちゃう。(笑)
さぁ今夜もバカなボンボンの集会へ、スーパー
カー少年は行くのでR。