龍馬と弥太郎

部屋には少し甘いにおいがする。頂き物のリンゴや柿が食べないものだから棚の上で完熟してきているからだ。このままでは痛んでしまうと思って、昨日はカレーに柿を入れた。柿の甘みの分、タカノツメで辛くした。けっこう美味しかった。
日曜日は休みだったので、ひさしぶりに「龍馬伝」を見た。いよいよ最終回まであと2回。夏を過ぎたあたりから、なんとなく面白くなくなったのだけれど、それでも絵が綺麗だったり、蒼井優さんの深い悲しみの表情が好きだったりするものだから、これまたなんとなく見ていた。
ああ、そう言えば前回は、結局、なんというか、龍馬は「愛国」とか「外交」とかの象徴で、弥太郎は「経済」とか「企業」なんてものの象徴のようにキチンと作者の意図的な区別化がされた内容だった。この国が現在抱えている問題、例えば尖閣諸島や竹島などの領土問題にはいつも「経済」というもうひとつの国益が併行して存在する。中国という巨大マーケットのためには売国的行為がいとも簡単に執行される。
そういった図式みたいなものを、龍馬と弥太郎というふたりのヒーローによって炙り出している、それがこの「龍馬伝」のテーマではないだろうか、それは作者が意図した主題なのだろうと考えた。
というか作者は常に弥太郎を悪にしているのだけれど。それがあの弥太郎の汚れ方なのだ。そしてこの国の人々に「国」とは何か、ということを問いただしているのだろうと思うのだ。
結局、あの龍馬や弥太郎の時代から、多くの弥太郎は出現したのだけれど、ひとりの龍馬も出ることなく、この国は敗戦、日米安保、そして最後はグローバル化という開国によって国を売ってしまったのだ。
豊橋市内

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