のりピー復帰で考えたこと

確かに罪を犯したのだけれど…。
多くは苦悩の中で生きている。それをどう解決するのか、ということに人生の多くの時間を費やしているのだろう。悲しみを喜びに替えるものが、例えば宗教だったり、例えば食事だったり、ボクたちはそのために生きているのだろうと思う。宗教的行い、飲酒、カラオケに食事、スポーツ…。また人を傷つけることも、自分を傷つける人も、結局は苦しみから脱け出そうとする行為なのだろう。解脱。
どういう形にしろ、ボクたちは救われたいと願っている。そして救い主を毎日求めている。
シャブという救い主が現れたとしたら…。
のりピーが復帰したそうだ。もう三年もたったのかと思った。あの時、ボクは、彼女と「シャブ」というキーワードがどうも結びつかなかった。それは木村カエラと「妊娠」ほどの差異が感じられたし、それがゆえにとてつもなく大きな事件のように映った。たぶん、多くの人も似たような感覚であの事件を見ていたと思う。言い換えればあってはいけないこと、だったのだ。
「あってはいけないこと」だったということ、そんな彼女のイメージが彼女自身を呪縛していたのだろうし、それが人生の苦悩になっていたのだろうと思う。
彼女のイメージ、それは記者会見で彼女が何度も使った「表現者」なのだけれど、ボクたちはその彼女に救われていた。彼女自身が救い主だった。そして多くの人は救い主としての彼女の再臨を待ち望んでいたのかもしれない。
彼女が犯した罪よりも、彼女が行った救いのほうが大きいかもしれない。過去の救済が担保されずに、あの事件についてだけがあっさりと断罪された、そう思ったりもする。彼女の表現者としての存在(それはたぶん現在においては宗教家よりも存在感があるのだけれど)が、多くの若者に力を与えたのだろうから…。
「もういいじゃん」とボクは思う。賛否両論あるのだけれど…。
ボクたちは救い主を求めている。薬物使用が重大犯罪を起こす引き金になるとしても、もしかして抑制する力になるかもしれないのだし。多くの若者を非正規社員のまま放置しているほうが、もっと危険なことだと思う。救い主のいない国家になってしまっていることのほうが人を狂暴化させるように思う。
ボクたちは、国家に失望し、政治家に失望し、そして宗教に失望してしまっていて、薬物に依存しなければ生きていけなくなっているのかもしれないと思う。それはシャブなんてものだけではなくて、脱法ハーブや、抗鬱剤、酒なんてものを含めての薬物なんだけれど…。
鳳来寺のいちょう
鳳来寺、二の門駐車場のトイレから…

1件のコメント

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    筋があれば理想 (ideal)になる。なければ空想 (fantasy) になる。
    日本語には、未来時制がないから理想の世界は展開できず、現在時制の世界における戯けごとになる。
    一寸先は闇と見ている政治家たちに導かれて、国民の生活は動いている。
    自分が死んでもこの国がまっすぐに理想の世界に進むようなルール作りを政治家たちにはしておいてもらいたい。
    それには、時制のある言語 (英語) の教育が必要である。
    英米で高等教育を受けてきた者を活用できる知的な社会の枠組みを作って、彼らを優遇しなくてはならない。
    http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
    http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

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