リコールという有償修理

少し前まではリコールと言えば、それを出した企業にとってはかなりのダメージがあっただろうし、現場の人たちには恥ずべきことという認識があったと思うのだが、最近では製品の不具合や欠陥があることがものづくりの前提になってしまっているようだ。(「リコール隠し」なんてのは、そういった恥の裏返しだろうし)
トヨタ「ヴィッツ」などリコール 過去最多の743万台 – MSN産経ニュース
トヨタ150万台リコール プリウスなど13車種 国内で過去最多 – MSN産経ニュース
過去最多の不具合・欠陥を出した企業の現場の雰囲気ってのはどんなものだろうか?いつものようにどこかにその責任を擦り付け合っているのだろうか?それとも善意のリコールとして「とりあえずリコールしとけ」みたいに楽観視しているのだろうか?「非正規社員が増えたせい」なんて言う人もいまだいるのだろうか?
リコールとは無償で修理・交換、あるいは返金することなのだけれど、トヨタの場合は有償のようだ。

同社は、リコール費用をあらかじめ予算に計上しているが、「業績への影響は分からない」(広報部)としている。(MSN産経ニュース)

「リコール費用をあらかじめ予算に計上している」というその予算の原資はなんなのか考えれば、トヨタのリコールが無償でないということが分かる。要するにクルマの販売価格に上乗せされている、ということだ。そしてその上乗せされた金額が「予算」となっている。「リコールが前提のものづくり」と書いたのはそういうことなのだ。
例えば、「お腹が痛くなることが前提」で食品を製造している企業があるだろうか。「病が悪化することが前提」で薬を造っている薬品会社があるだろうか。「すぐに壊れることが前提」で電化製品を造っている家電メーカーがあるだろうか。たぶん、ないだろう。
リスクマネイジとしてリコールを想定することは必要なのことだろうし、それに対して備えることも大切なことだろうとは思うのだけれど、企業が、人の命を乗せるクルマを製造している企業が、恥も外聞もなく「リコール費用をあらかじめ予算に計上している」なんてことを言っていいものかと思うのだ。
いや、そういうことを平気で言える企業風土になってしまうことが、そして、株主のほうを向いてコメントする企業の姿勢が(だって、「業績への影響」なんてユーザーにか関係ないことだしね)、この国の製造業を衰退させる要因であることを、考えるべきなのかもしれない。そう思うのだけれど…。
DSC_3700.JPG

2件のコメント

  • blank

    ブログの更新心配していました。
    本当に心配してました。
    それだけ言いたかった。

  • blank

    昨今、自動車のリコールが非常に多いのは、過去にリコール隠しが社会問題化した影響もあるのだろうけど、リスクマネージメントとして、あらかじめ欠陥率を織り込んだものづくりがなされているからなのでしょうね。
    自動車業界で「フォード・ピント事件」は忘れ去られてしまったのでしょうか?
    リコール対象となるような市場品質トラブルは想定内、事故が起こり人命が失われる危険も想定内、優先すべきは企業の利益などということはあってほしくないものです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA