花見(さくら2012年)

「日本人はなぜ桜が好きなのか」なんてことを中国メディアが分析したなんて言うニュースを見たのだけれど、思うに「さまざまなこと思い出す桜かな」と芭蕉が詠んだように、ボクたちの記憶には必ずどこかに桜が咲いている背景がある。遠く子どもの頃から、そして去年の桜の頃…。記憶の背景に桜がある、それほどボクたちの側には必ず桜がある。
ああ、やっぱり故郷のことを想い出す度に、道路に植えられた桜並木が浮かんでくる。小学校の校門横の桜が浮かんでくる。桜を起点にいろいろなことが浮かんでくる。「ふるさとのことを思い出す桜かな」であり「あの頃のことを思い出す桜かな」であり「あの人のことを思い出す桜かな」なんてことでもあるのだろうと思う。
今年も花見ができた。去年と同じ場所でできたこと、それは幸せなことだろうと思う。繰り返されることに安心感を憶える。そしてまた次の春に同じ場所で花見ができるようにと願う。たぶん、多くの人がそう考えているのだろうと思う。
花見2012年
たごさくの「春満開弁当」を買って出かけた。川沿いの桜の木の下。花はほとんど散ってしまっていたのだけれど、それもまた想い出として、記憶の背景になるのかなあ、なんて考えていた。

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