長屋の花見

現在に、江戸時代の長屋的生活があったならホームレスやうつ病、自殺する人なんてのが激減すると思う。圧倒的な貧乏の中、助けあい生活を楽しんだりする風景は落語の世界だけに葬り去られてしまった。
ボクもそうなのだけれど、どうして隣近所の付き合いってのをなくして、疎ましく思うようになったのだろうか。こうしてアパートなんていう長屋に住んでいるのだけれど、隣人の名前さえ知らないでいる。
寮での生活だってそうだ。例えば期間従業員として田中和風寮や田原第七寮なんていうふすま一枚で仕切られただけの部屋に住んでいたとしても、やっぱり同じことで隣人との付き合いなんてのはしない人が多いし、それどころか仲が悪い場合のほうが多い。
そういった寮(和風寮とか七寮)がプリズンとか刑務所なんて言われる理由は、その薄いふすまが原因なのだろうけれど、長屋だとしたら逆にその薄さに安心感を持つ人のほうが多かったのではないかと思う。
そう言えば、田原駅でタクシーを待つ行列ってのはほとんどが寮生で、それもほとんどが期間従業員なのだろうけれど、例え同じ地域の寮で見かける人だとしても、同じ棟に住んでいる人だとしても、隣のラインで働いている人だとしても、乗合せるなんて考えることはない。不思議な行列なのだ。(タクシーは儲かるから良いけれど)
ボクたちはもうすでにボクたちの身体のまわりに厚い壁を作ってしまっている。それがプライバシーとか個人情報なんて権利でさらに厚く施工されたものだから、長屋で花見をするどころか、隣人が痛み苦しもうと誰も助けはしない。孤独死なんて終末を迎えることになる。
いや、ボクたちはそういう人間関係の不毛さを教えられきたし、知らぬ間に長屋の花見の虚しさや無意味さなんてものを学んできた。
トヨタ自動車の期間従業員の募集が再開された。細切れの細切れ雇用。日本という長屋から追い出された若者たちが、トヨタという長屋に入居するのだけれど、それも仮の宿ですぐに追い出される運命にある。あるいはそれを分かっていて、もう人生の半分を諦めて生きている若者の多いこと…。
人の生存権とか人権なんてものはいったいなんだろうか?この国の経済のために「働くこと」いや「利用されること」それが生きるってことだとしたら、いったいボクたちの人生ってのはなんなんだろうと思うのだけれど。同じ長屋に住んでいながら、同じ仕事をしながら賃金がこれほどまでに違っていること自体が人権問題になると、法律ではなくて人間の本質の部分で思うのだけれど。
そして人を使い捨てるような「悪」が正義のように存在することこそが、この国の長屋を喪失させている最大の原因だと思うのだけれど…。
期間従業員募集再開

3件のコメント

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    そんな感じなのかもしれませんね。ボクの場合は…「面倒くさい」ってのがありましたけれど。
    金品を取られたということもですが、金銭の貸し借りなんてことで嫌な思いをしますしね。ボクもありましたけれど。
    まあ、たかが半年とか1年なんて期間なんで、長屋的に付き合わなくても終わってしまう時間ですし。そういう雇用形態が、若者から人間関係を煩雑なものと忌み嫌うようにしてしまうのだとも思うのですが。

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    あまり親しくなると情が出てくるからそれを避けるためにあえて付き合いをしない方は居ると思います。
    他に考えられるのは
    自分以外は皆敵といった考え方が蔓延している
    過去に親しくしていた方に金品を取られたことが有りそれに懲りている
    仕事で疲弊しているためそれどころではない
    などといったとこれですかね。

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