豊橋女性変死事件で考えたこと

全裸で両手首が縛られていた状態で見つかった遺体…。
「二十六日午後十一時半ごろにアルバイト先のスナックで勤務を終え、タクシーに乗車。二十七日午前零時十分すぎ、自宅前に着いた」その後に殺害されたらしい…。
豊橋女性変死事件
オレじゃないよ。そのタクシー運転手。
もうタクシー運転手が誰だかは分かったらしいのだけれど、少しは嫌疑がかかったのだろうなあ。
職を転々。ホームレス。生活保護。水商売。
生きるも地獄。何度も「死にたい」なんて思ったんだろうね。そんでもどこかで踏ん張って生きてきたのだろう。そう考えると、せめて最後ぐらいキチンと、苦しまずに、なんて考えた。
努力すれば、なんて平気で言う人がいるけれど、努力してもどうしようもない人ってのは多い。
「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」。稀勢の里の中学校卒業文集の言葉。確かにそうだ。天才はほんの一握りの人たち。誰もが天才になれるわけでもない。
そして誰もが努力して天才に勝てるわけでもない。努力すれば天才に勝てるのもほんの一握りの人たち。努力しても努力してもどうしても勝てないひともいる。いやその前に努力できない人もいる。怠けているとか、逃げているなんてことではなくて、それも生まれつきのものなのだ。
どれほど努力しても勝てない人たちも多い。例えばサッカーやラグビー選手に対して、ワールドカップで勝てないのは「怠けているからだ」なんて言う人はいない。やっぱり何かが違うのだ。それは努力とか天才とかそんな陳腐な理由ではなくて、もっと違う何かもっと構造的な何か…。
稀勢の里が天才に勝てたのは、彼が天才に近い才能を持っていたからだ。ほぼ天才が努力すれば天才に勝てるかもしれないけれど、多くの凡才は努力しても勝てない、それどころか同じ土俵にも立てない。
努力ができる人とできない人がいることを分かっていないと、社会はかなり残酷で冷酷なものになるのだろう。
生活保護(という国家の脅迫)から、水商売(という努力)によって、結果的に死んだとすれば、やっぱりこの国の保護なんてのはどこか冷たくてどこか間抜けな感じがするのだ。
勇気があるやつは首を吊り、やる気があるやつはヤクザになる。なんにもできないやつは人に小突かれ叩かれて「すみません、すみません」と頭を下げるだけ。図太さもないものだから生活保護なんてもらっても「働きなさい」という役人のひと言にやりたくもない客商売。最後にゃ縛られ殺されて、それでも「すみません」とキチンとたたんだ下着が言っている。

2件のコメント

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    お前、屁理屈だけは一人前やな。

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    勝ち負けにこだわりますね。

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