上田桃子プロの優勝で考えたこと

桃ちゃん優勝おめでとう。
上田桃子プロが勝った。それもプレーオフで勝った。少し泣けてきた。ウィイニングパットを決めて、藍ちゃんとか美香ちゃんとか、しのぶちゃんなんて同郷の人たちがかけよって抱き合って祝福している映像に泣けてきた。
来年の日本ツアーのシード権が獲得が厳しくなったにもかかわらず、あんなに人の優勝を喜べる藍ちゃんの姿にもちょいと感動した。
放送を見ていて、スポンサーであるミズノのCMにも感動した。
「YORO JAPAN」。「ミズノの工場ではすべてのクラブを職人がつくっている」そうだ。「人の手で削り、人の目で測り、一本一本のクラブができていく」そうだ。
プロゴルファーという職人たちが求めるのは、やっぱり職人技なのだろうと思った。
ボクたちはほとんどのものに対して違いが分からなくなってしまった。いや贋作や偽物なんてのはいつの時代にもあったのだけれど、ボクたちが本物を求めなくなってしまったのだ。本物を追求しなくなった代わりに価格でそのものの価値を判断するようになった。
人生を職人的に送る人が少なくなってしまったのだろう。こだわりなんてものを持たなくなってしまった。かわりの大量生産されたものを好むようになった。週末のユニクロは超満員だ。道路にはプリウスがあふれている。
同じような服を着て、同じような車に乗って、同じような家に住み、同じような人生を送るのが幸せだと、大量生産型思考の人々があふれている。
日本人はそもそも人と同じものや同じことが嫌いな民族だったのだ。だからこそ職人という人たちが育った。それが日本の技術の元になった。少量生産少量消費型経済国家だったのだ。
その職人技、Made in Japan Made by Japanesehand というのが失われている。「YORO JAPAN」なんて特別なものではなくて、日本中がそうだったのに、今では職人技なんてことが稀有になってしまった。
それはボクたちが捨てたというよりも、気づいたらボクたちの回りからなくなってしまっていた、というのが正解なのかもしれない。
自動車だってあれはもう職人技なんてのは介在しない。職人らしきひとは現場にいたとしても、ラインに乗ってしまった自動車はロボットが加工してロボットのような人間が組立、動かす。ラインマンは職人ではなくて、あくまでもラインマンなのだ。一台一台なんて余裕もなく、考える暇もなく、ただロボットのように身体を動かす。いや、ロボット化することが優秀なラインマンなのだ。
そんな工場で職人は育たない。そして多くのものつくりの現場では似たようなことが行われていて、大量生産大量消費を推進しているのだから、この国のものつくりの現場で職人を探すのは難しくなっている。皮肉なことにも。そして悲劇的にも…。
この国の唯一の資産だった職人技は喪失してしまった。もう誰も「Made in Japan」が高品質の証だなんて信じなくなる。いや、もうすでに「Made in Japan」なんてもの自体すくなくなってしまった。そしてボクたちは品質よりも価格を選択する消費者になってしまっているのだし…。
……
なんて考えた。
さてと、寝るか。

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