甲子園の月

高校野球には敗者の美学がある。いや、高校野球だけではなくて、スポーツとは突き詰めれば負けることが重要なことなのかもしれない。必ず負ける。全国4000校から甲子園に出場できるのが49校、そして優勝できるのは1校だけだ。
彼らの涙が人気の秘密なのだろう。桜の花のような、特攻隊の潔さのような、切なさがある。
準々決勝、延岡学園対富山第一の試合。同点で迎えた9回表、富山第一の攻撃は、無死一、三塁。ワンアウト後に、延岡学園はピッチャーの交代を告げる。3番手の奈須は少し緊張したいたのかストライクが入らず、ノーストライツーボールのカウント。ストライクを取りにいった3球目を富山第一の2番打者西田がとらえる。しかし二塁ゴロ。二塁、一塁とボールが渡ってダブルプレー、そのピンチを切り抜けた。喜ぶ延岡学園の選手たち。
が、しかし、直後に審判のプレーやり直しのコール。いったい何が起きたのか、ほとんどの選手も、そしてテレビを観ていた人たちも気づかなかった。
奈須の3球目の直前に延岡学園三塁側ブルペンから味方選手の球が外野に入り、投球前にタイムがかかっていたのだ。
もしも延岡学園が負けていたとしたら、その味方選手は永遠に戦犯として贖罪をしなければならなかっただろう。きっとみんなが許してくれたとしても、彼自信がその罪を永遠に引き摺って生きなければならなかっただろう、と思う。
プレー再開後の奈須は何かが乗り移ったように、それまでの3球とは別人のようなピッチングをする。結果二者連続三振。9回の、二度のピンチを切り抜けた。そしてその味方選手の人生までも救った。
富山第一が負けて良かったと思った。勝っていたら、きっとボクたちも9回表の「やり直し」という出来事を、嫌な感じで記憶に残していたと思う。必ず負けるのだけれど、試合とは関係ないところで、彼らの人生とは関係ないところで、それが決まってしまうことは、それも人生にはよくあることだとしても、そして運命なんて言ったりするけれど、それはよくないことだと思うんだ。
試合後、照明の横に月が出ていた。そしてそれをテレビカメラが少し長めに写していた。多くの人がこの夏一の名勝負として月とともに思い出すんだろうと思う。富山第一の選手たちが泣いているのを見てボクも泣いた。この夏一番幸せな、そして美しい「負け」だと思った。
甲子園の月

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