そして夏は過ぎてゆく

昨夜散歩に出たときには「ああ、秋の風が吹いているなあ」なんて感じたのだけれど、今日はまた焦げるような暑さで、一歩たりとも外に出たくない、なんて思ってしまう。きっと、この時期にウツになる人も多いのだろうなあ。夏休みの喧騒と冷房の効いた密室の差みたいなものが、人の心をむしばむのかもしれない。
勤務後、部屋に帰ると、まず水シャワーを浴びる。それから冷たいお酒を飲む。焼酎だったり日本酒だったり、たまにビールだったりするのだけれど、1合とか500ミリの管一本とか。ひとりで飲むとすぐに酔ってしまう。たまにホッチキスが来るとその倍ぐらいの量が飲めたりするのだけれど、人と飲むとこんなに酔わないのは不思議なもんだ。
身体のバランスが悪いのか、一時間ほど早足で歩くと右側の股関節が痛かったりする。四国遍路の時なんてのは、毎日毎日30キロとか歩いても平気だったのに、人の身体ってのは簡単にナマクラになってしまう。ナマクラになってしまったのは身体だけではなくて、あの四国ってのはボクにとってなんだったのだろうかと、なんの変化もないどころか、みょうに俗っぽくなっている自分が嫌になる。はあ~。
Uターン、故郷から戻った人も多いのだろうね。西日本、例えば九州なんかからだと、米原とか大垣に電車が着くころには「また戻ってきた」なんて思うのだろうね。名古屋とか豊橋なんて寮への乗り継ぎの街に着くと、きっと里心みたいなものでため息をついたりして……。なんてボクがそうだったからって、みんなもそうだとは限らないのだけれど。
そういえば、初めてトヨタの街に来た年も「猛暑」だった。2004年、あれから9年も過ぎてしまった。夏ってこんなに暑かったのかと思ったし、それゆえに秋が突然に訪れて、その年の冬は寒かった。時間は、未来よりも過去のほうが早く過ぎる。

まだ感触として残っている、あの夏のこと。肌に少しだけマトワリつくような空気。それが感触として残っていて、ボクを、悲しくさせる。いまでも夢に出てくるTさんと最後に会った日や、Kくんの声を最後に聞いた日、Mさんが泣いていた日々。
あの頃、ボクたちは猛暑といわれた夏をどう越すかということを考える余裕もなく、ベルトコンベアで運ばれるような日々を送っていて、やはりプラスチックのような街で、少し生きることの意味をなくしていて、幸せなんて言葉を使うことを、やっぱり少しだけ怖がっていて、その日の無事終わることを、ひたすら祈るような日々を送っていたんだ。

期間工物語(1)
夏は、夏の想い出は、悲しいね。
あの時のひまわり

3件のコメント

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    ELFさん、お久しぶりです。
    また田原も少し賑やかになっているようです。飲酒事故なんてこともあったり…。
    それでも、田原寮あたりはあの頃の匂いがしているように感じます。ボクもあの夏がなければ、ここに住んでいなかったかな。
    というか、やっぱり里心みたいなものはいくつになってもあって、18きっぷの頃になると、あの夏のように野宿しながらも、故郷に帰りたいなあ、なんて思ってしまう。
    もうライン作業が無理な年齢にもなりました…。
    衣父さん、お久しぶりですね。
    たいへんな状況ですね。申請が通るといいけれど。就職の最大の資格って、年齢なかあ、なんて感じます。若ければ、もう少しなにかあるのにと、ボクも思いました。
    30代だとまだまだライン作業なんてのもやれるけれど。
    ボクなども、生活保護レベルの給料で生きていますけれど、まあ、それでも今は幸せかなあ、なんて思うことがあります。
    衣父さんも、熱中症なんてのに気を付けてください。

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    ご無沙汰しました
    生活保護申請しました 離婚もして独り暮らし仕事もきまらず いつまでも遊んでいると妻に詰られ棄てられました
    日々食うにもこまり家賃も危うくなりましたので申請いたしました。
    さて今後如何なりますことやら…暑さ続きます御自愛下さいませ。

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    お久しぶりです。
    上記2004年の記事以来、約4年ぶりの投稿となります。
    あの夏は社会人1年目の夏でした。高校を卒業したばかりの18歳でした。
    それであの猛暑の中での激務だったので、今でも辛かった日々を鮮明に覚えています。
    当時は辛くて何度もバックレてやろうと思いましたが、同室の人の支えと満了慰労金のためになんとか頑張りました。
    あの時、途中でバックレていたら、今の自分はなかったと思います。
    あの年以来、2007年・2010年・2013年と3年周期であの夏に似た猛暑がやってくるので、妙な感じがします。
    今でも何かあると、あの夏の頑張りを思い出し、心の支えにしています。
    そして、今でも年に1回は車で田原まで足を運んでいます。

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