Feedly

Googleリーダーが2013年7月1日でサービスを終了するということなので、二か月前ぐらいにRSSリーダーをFeedlyにした。PCとスマホ、あとiPadでも利用するので、なんとなく評判の良いFeedlyにしたのだけれど、慣れてくれば特に困ることもなく、こっちのほうが良いかなあ、なんて思うのだから、人間ってのは簡単なもんだ。
リーダーを駆使してまでたくさんのブログ記事を読むってことでもないのだけれど、それにそんな暇もなくて、結局ブックマーク的に使っているだけだったりして、あるいは見出しを読むだけだったりして、ボクのような行動パターンの人が多いことが今回のGoogleの撤退にあるのかなあ、なんて思っている。
このブログも8年目、7年と138日経過したのだけれど、あの田原寮でのことなんてのはそんなに昔のことのような感じもしなくて、かなり正確に憶えていたりする。それほど強烈だったのかもしれない。昨日のお昼の弁当のおかずのことは忘れてしまっているのに。
そう言えばあの6月8日から5年過ぎた。「にぎわう街 風化懸念 秋葉原無差別殺傷5年」なんて新聞記事の見出し。被害者は忘れたいのではないのか。一番「懸念」しているのは、実は加藤本人のはずだ。加藤の呪い。それでも相変わらず加藤智大を造り出す国。
「貴方は、以前より明るくなったわ」
なんてメールをいただいた。どうなんだろう、「以前」たぶん、2年前の夏よりは明るくなっているのかもしれないけれど、4年前の夏よりは暗くなっているかもしれない、なんて考えているんだ。
楽しいことなんてのは、相変わらずなくて、それはたぶんみんなも感じていることなんだろうけれど、ただ毎朝遅刻しないように起きて出勤するというルーチンを行っているだけで、そう考えると生きるってのは遅刻しないことなのだろうし、結局は朝起きるために、そして出勤するために毎日がある、ということなのだろうね。
「明るくなった」のではなくて、諦めたのだろうと思う。こうして考えて書くなんてことも面倒になっている。
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2件のコメント

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    クロさん、どうも。メールだけで会ったことはないのですが、それでもそういうふうに言ってもらえるのはいいことなんでしょうね。
    新しい生きがいというか、この先の生き方ってのが見つかったっていうか…。あとはいつリタイアするかなんですが。

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    変わったんでしょうね。絶望と蘇生を繰り返すようにして人は何度も変わるのかも。死の受容、のような過程がその中にある気がします。ただその変化を「以前より明るくなったわ」なんて言ってくれる人が周りに居るのがいいですね。普通いるものかしれませんが、温かそうでいいです。変わったことで新しい生きがいなんてのもできたんでしょうか。ささやかでも幸せと感じる瞬間がたくさん欲しいですね、過去の中だけでなく毎日の日常の中で。

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