百骸九竅(GW2013年)

百骸九竅の中に物有、かりに名付て風羅坊といふ。松尾芭蕉の「笈の小文」の序文。百骸九竅とは、百の骨と九つの穴で人の身体のこと。つまり、身体の中にひとつ(物言いたいところが)、風羅坊と名付けているところがある、となる。
笈の小文(序)

ボクの身体の中にあって、時々、昔のことを思い出させる…。

あなたが教えてくれた哀しい唄を歌いながら帰る満月の夜、連休の始まった街は深夜三時ほどの静けさで、線路は虚しく光っている。湿った春の風が街だけではなくてボクの記憶までも曖昧にする。哀しい唄を想い出せないで、何度も何度も同じところを繰り返す。

あの頃のボクにはまだ夢を語る勇気なんてものがあって、あの頃のボクたちには哀しい唄を一緒に歌える優しさもあった。

連休にはなんの予定もなくて、いやなんの予定もない人生を送っていて、ただ一日が一万円ほどの重さで過ぎてゆく。予定どころか目標なんてものもなくて、やっぱり一日をそれほどの重さで過ごしてゆく。

連休のスーパーは家族連れが多くて、人ごみの割には駐車場は隙間がある。普通の幸せってのがそこいらにある。

「運転手さん、幸せってなんなんですか?」なんて少女の面影の人が聞いてきた。

「なんなんだろうね」と言うと「きっと楽しく生きることなんでしょうね」と、もうすでに解決済みだというように言った。

「たのしく生きるかあ」なんてボクは反復した。

「そう」と彼女は短く答えた。

「楽しいですか?」とボクが質問した。

「そうでもないです」と答えた。そして「だって、明日も仕事だし…」なんて言った。

「仕事は楽しくないですか?」

「少しだけ、運転手さんは?」

「楽しくないですよ。というか、生きていること自体楽しくないですから」

「そうなんだ。でもこれまで楽しいこととかいっぱい?」

「いっぱいはないけれど、楽しい時もあったかなあ」

「連休はお仕事ですか?」

「そう、休んでもすることないしね。どこも混んでるだろうし」

「そうですね。あ、その先で停めてください」

「1800円になります。……、あの、もし良かったら、それに夕ご飯まだでしたら一緒に食べませんか?」とボクは言った。「え、え~っと、そうですねえ、どこか近くなら」とその少女の面影の女性は答えた。

「近くの、えっと、ファミレスでも良いですか?」

「はい、良いですよ」

「じゃあ、このまあ行きますね。ちょうど良かった、お腹空いてて死ぬかと思っていたんですよ」

「わたしも、帰って夕ご飯つくるの面倒だと思っていたんで」

「ちょうど良かったですね」

ボクたちはファミレスに行った。

連休のファミレスも家族連れで混雑していた。

ボクも彼女も煙草は吸わないのだけれど「喫煙席で」と言った。最近は喫煙席のほうが静かなのだ。窓際の席、窓に近い方に彼女が座った。間もなく注文を聞きに来た。(つづく)

菅野美穂 サントリーポスター

ひとりぼっちのゴールデンウィーク最初の休日は豊田市内まで買い物に行った。あの日のことをかなり鮮明に憶えていて、空の感じとか、街の乾いた空気とか、そしてやはりうつむき加減のボクのことなんかも、たまに思い出す…
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ひとりぼっちのゴールデンウィーク

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