ボストンマラソン爆破事件の爆破時間について考えたこと

マラソン大会を狙ったという点で今回のテロの犯人像が浮かんでくるのではないのだろうか?
無差別、無慈悲テロだとするとゴール時間よりもスタート時間を狙うほうがより多くの人を殺傷できる。警備上の問題なんてことでゴール地点を選んだとしても、自爆テロならば場所の問題はほとんどクリアできたはずだ。ボクがテロリストならばスタート直後を狙う。そのほうが派手にその行動をアピールできる。ちょうど911のように。そしてそのショッキングさみたいなものがテロリストの狙いである「恐怖心」を人々に植え付ける。だから無差別テロは普通の人々が巻き込まれる場所、時間、要するに日常において起きる。
今回のテロ事件は無差別ではない。それは爆破時間が「完走のピーク」と言われる時間に設定されていたということで説明できる。上記のように無差別ならばスタート地点だ。ところが優勝者がゴールした時間よりも約2時間後に設定されていて、テレビ画像を見るとまるで祭りの後の閑散とした通りのような場所であった。マラソン大会なんて息苦しいものではなかった。
その2時間前、エティピアのレリサ・デシサやケニアのリタ・ジェプトゥーがゴールした時点においては、そこはちがう風景だった。
なにが違うのか、そのボーダーが爆破時間なのだ。エティオピアやケニアの選手がゴールした時間から2時間後の爆破時間が出場選手の質を分ける時間帯だったのだ。
なぜ人はマラソンをするのだろうか。その答えがボクのいう「質」なのだ。スタートから3時間、爆破前1時間あたりにゴールするランナーたちは食うために走っている。発展途上国の選手にいたっては走らなければ食えないのだし、それは本人だけではなくて、彼/彼女らの一族の問題でもあるのだ。
スタートから4時間、爆発時間後にゴールするランナーたち。彼らは(けっして全てではない)食べたいがために走っているのだ。要するに健康のために走っている人たちなのだ。今のマラソンブーム、多くは食い過ぎて太り過ぎて、飽食の結果走っている人なのだ。おまけに海外から参加する人たちなんてのは金持ちだ。
爆破時間を境界線にランナーの質が変わる。食うためと食ったため。食ったため、あるいは、もっと食うための人々があの爆破の瞬間の映像に写しだされている。マラソン大会というよりも、ダイエット大会の会場、それは富の象徴でもある。
貧と富、アフリカとアメリカ、そう南北問題という貧富の差がそこにキチンと映し出されているではないのか。おそらくボクも含めて多くの人は、今回のテロを見てそういうメッセージを受け取ったに違いない。「恐怖心」というよりも、ボクたちの傲慢さみたいなものについて考えたに違いない。
世界はいまだに貧困という問題を抱えている。多くの人が飢え餓えている。そしてその貧困を利用してボクたちは豊かに暮らしている。4時間という時間が分けるのもはそこなのだ。そしてそこで別れる「質」「世界」を爆破時間にしたというのがテロリストからのメッセージなのだ。
ボストンマラソン完走ピーク時間狙う – 国際ニュース : nikkansports.com
男子はデシサ、女子はジェプトゥーがV/マラソン – スポーツ – SANSPO.COM(サンスポ)
葦毛湿原にて

2件のコメント

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    病気で肥るってのは仕方ないにしても、食べて食べて、なんて人も多いですしね。それもお菓子なんかで肥る人。そんで食べたいので走ったり。
    登山で死ぬ人なんてのも自業自得かなあ、なんて思う。

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    お久しぶりです、同じこと考えていました。
    ところで、市内雇用促進住宅の、少なくはないデブデブな若い奥さんたちの存在は疑問ですが…

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