木蓮(さくら2013年)

春嵐。
木蓮も桜の花も飛ばされぬように枝にしっかりとしがみついている。

なんて書いたのが去年の4月3日。今年は10日ほど早いそんな風景。
花見には間に合うでなし木蓮の花(笠山)
木蓮の哀しさはその純白にあるかもしれない。夜に見るとキレイというよりもなにか冷たさを感じる。白無垢、花嫁衣裳というよりも死装束を連想する…。塗装屋さんに聞いた話なのだけれど、白を塗る時には少しだけ黒を混ぜるそうだ。そうすることによって綺麗な白になるとか。ボクは色覚異常なので普通はどう見えているのか分からないのだけれど、なにか人を拒むような色なのかもしれないね。
豊橋、神明公園の木蓮
神明公園の木蓮。いきなり咲いて、というか19日あたりの暖かさにつられて咲いたのだろうけれど、そうしていきなり散ってしまう。落ちてもなおその純白を守ろうとする。山田ひろしさんはきっとそんな木蓮をみて「木蘭の涙」を書いたのだろうね。
葦毛湿原の木蓮
葦毛湿原の木蓮。冬の間、休日はほとんど外出することなく過ごしていたんだ。正月に名鉄のフリーきっぷを使って大山に行ったきりで、初詣もこないだ済ましたばかりだし…。出不精というか、疲れ果てているというか…。何もしたくないというか、何かをしようと思わないというか…。
今年の花見はきっともう葉桜なのだろうね。
さてと「長屋の花見」でも聞きながら寝るか。そういえばこれに出てくるような貧乏人ってのも今の世の中にはいないのかもしれないね。格差社会だといっても餓死するひともいなければ、乞食もいないし、長屋の住人のような貧乏人もいない。ってことはけっこうみんな豊なんだろうね。

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