「ぼっち」がカッコいい生きたかなんだけれどなあ…。

「ぼっち力」というのが求められているというのに、どうしてそれを否定してしまうのだろうか?
独りでいるほうがカッコいいのに、どうして群れたがるのだろうか?
痛いニュース(ノ∀`) : “友達ができない”…「ぼっち」が怖い大学生、トイレで食事したり、レンタルフレンドで友人レンタルして遊んだり – ライブドアブログ

友達作りの一助に、と3年前から開かれているこの会。「友達ができないからと、休学や退学してしまう学生もいるで」。司会を務めた准教授の長見まき子が、事情を打ち明けた。

なんて。「友達ができないから」ではなくて、それ(友達ができないこと)が悪いことだという風潮に耐えられないことが原因なのに…。
前に書いたものを再掲するけれど、友だちなんてのはひとりもいなくても良いし、そういう生き方を、そして本当のあなたを認めてくれる人が必ず現れるから。というか、認められなくても良いのが、ぼっちの生き方なのだけれど。これまでもそしてこれからも「ぼっち力」の高い人を社会は必要としていると思う。
梅は咲いたか

一日中人と会わないで話をしなくても平気だし、どちらかというとそのほうが落ち着くのだから、もうそのひとりってことが身についてしまって、いまさら友だちなんてものはボクにとっては鬱陶しく面倒くさいものぐらいの存在になってしまっている。「他者とつながっていたい」なんて理由からネットに依存しているわけでもない。メル友もいなければ、ブログ友もいない。mixiやfacebookなんてものにも登録していないし、こちらもボクにとっては鬱陶しく面倒くさいものなのだ。
どうしてみんな人を求めているのかも、ボクには解らない。やっぱり寂しいから?それとも退屈だから?あるいは求め合うのが動物としての本能だから?「友だち100人できるかな」なんて愚かしい歌を聞かされてきたせい?選挙に出馬するため?
なんでもいいのだけれど、友だちがひとりもいなくっても生きて行ける。いや、人間というのはひとりなんだ、と腹に決めて生きて行った方が楽になれる。きっと。

一年生になるあなたへ

ともだちはひとりいれば十分だと思う。100人もいると、付き合いが雑になってくるだろうし、振り回されるに決まっている。人生において友達は1人でいい。
「一年生になったら、ともだち一人できるかな」程度でいいのだろうと思う。いや、出来なくても母親や父親がいる。それでいいと思う。親がいなくても兄弟がいる。それもいない場合は自分がいるのだし。
そっと独り言を言う。それがボクの耳に届く。それからまたひと言ふた言口に出す。また耳に届く。寂しいと感じたら、そっとそっとボクに話しかける。そして耳をすましてみる。
独りでいることは寂しくも悲しくもないのだから。逆に独りのほうがカッコいいと思う人も多いのだから。多くの人はそれが出来ないでいる。独りでいることが怖くてしかたないのだ。
もし、あなたが、学校の帰り道でひとりになったとしても、教室でひとりになったとしても、それは寂しいことでも悲しいことでもなくて、誰にもできないカッコいいことなんだから、もっとひとりになるといいと思っています。
ボクもひとりだったから。そしてひとりだから。

国道一号線 雨

夜更け 靴音 石だたみ
ひとりたたずむガード下
背中ぬくめる灯もうすく
胸のすきまに風が吹く
ひとりひとりみんなひとり
作詞:水木かおる

そんなカッコいい大人もいなくなったか。

2件のコメント

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    「職を離れても、付き合いたい人物はほとんどいない」とけっこう多数の人が考えているのだろうと思います。それでも「ごっこ」をしなければ居心地が悪くなるのだろうし。
    ひとりでいる人に憬れたりしても、自分はひとりになれない人も多いのでしょうね。
    学生のころ、ひとりぼっちの女の子を大好きでしたけれど…。

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    わかる気がする。
    私事ですが。
    職場での仲良しごっこには
    中年の俺もうんざりへとへと。
    居心地を良くするための
    あるいは、勤務査定のための
    友達ごっこなのだが、
    この「ごっこ」を本気にしている
    悲しい同僚が多い。
    職を離れても、
    付き合いたい人物はほとんどいない。
    職場では仲良しごっこしているけれど、
    心は冷え冷えしている。

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