楽天主義、花子とアンを見ながら
楽天主義ではないと思う。そんなことを考えていた朝、虹が見えた。西の空に見えた。東には雨雲がかかっていて、雨も降っていたんだけれど、その間から太陽がのぞいていた。へんな天気だった。悲しい予感。
楽天主義と昂揚
ももが北海道に嫁いでいった。父親かが決めた相手、そしてまだ逢ったことも話したこともない人のもとに嫁いでいった。三人姉妹の次女かよは紡績会社に売られるように働きにいき、結局逃げ出した。女性にとって、明治は、というか、日本の近代とはそういうものだった。
庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く、民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、そのような被害者意識のなかからみればこれほど暗い時代はないであろう。「坂の上の雲」
人権などとはほど遠い大格差社会だった時代は一見暗澹たる社会のようにボクたちには映るのだけれど、この時代の人々は、花子の父親のように時代に「昂揚」していた「楽天主義」者でもあった。
司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」、あの「楽天主義」だ。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。誰もが「国民」になった。不慣れながら「国民」になった日本人たちは,日本史上の最初の体験者として,その新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ,この段階の歴史は分からない。社会のどういう階層の,どういう家の子でも,ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば,博士にも,官吏にも,軍人にも,教師にも成り得た。
この時代の明るさは,こういう楽天主義から来ている。
その楽天主義と暗い歴史が切ないのだ。長男吉太郎の入隊もうそうだし、ももの結婚、かよの逃走もそうだ。
現在も、あの時代とは質が違っているが「暗い時代」だと思う。
ただボクたちには「昂揚」する材料もなければ、「楽観主義」者になれるだけの将来もない。
逆に、暗い時代に悲観するしかほかにないという時代で、「悟り」を開いたわけでもなく、悟ったように振る舞わなければ気が狂ってしまう、そんな時代なのだろうと思う。
花子とかよともも
そんな話を書こうとしたのではない。かよ役の黒木華さんやもも役の土屋太鳳さんの演技に驚いているのだ。
昭和のにおいのする女優、なんて感じがするのは、きっと花子とアンでの役柄なのかもしれない。いや、そう思わせるというのも彼女たちの演技力のせいに決まっている。
というわけで土屋太鳳さん主演の「果てぬ村のミナ」のDVDを観たいと思っているのだけれど、あいにく売切れみたいで、やっぱり朝ドラの影響かなあ…。
黒木華さんは「舟を編む」に出演していたんだね。
ということで、この国の演劇界の未来は明るいのだ。
黒木華さん、ハイボールのCMにも出てたのね。