梅、震災から三年

暖かい午後、公園に行った。盛りを過ぎていたんだけれど、まだ遅咲きの梅が残っていて、暖かさも手伝ってか(たぶん、散り際のほうが香りが強いのだろうね)公園は梅の香りに包まれていた。去年も、そして一昨年も、それからあの三年前も咲いていた。同じところに同じ梅の木があって、やっぱり同じように咲いていた。
永遠、同じように繰り返される。それは、きっと、幸せなことなんだろうね。
今年の冬は寒かった。きっとその寒さがボクを今まで以上に出不精にしていて、梅もやっと散る頃になって見ることが出来たし、冬の間、休みはと言えばアパートとスーパーの往復ぐらいしか外には出ない生活をしていた。友だちも家族もいないということは、案外気楽で、お年玉とか冠婚葬祭なんて出費の恐怖もないし、見栄なんてものからも解放される。世間体、なんてよくわからないものとは無縁の生活は、良いことなのか悪いことなのか分からないけれど、ボクには似合っていて、というか、低賃金なボクでも、質素な生活でもなんら不自由がない、ということになって、やっぱり便利なのだ。
例えば子供や家族がいたら…まずこの安アパートでは住めない。ひとりでも息苦しいのに。家族に子供かあ……、考えるだけで気が狂いそうになる、というか、無理だ。
とは言っても「男やもめにウジがわく」なんてことはなくて、たぶん、けっこう小ざっぱりしている。スーパーに行くにも、公園に散歩に行くにも、ジャージ姿なんてことはなくて(というかジャージを持ってないのだが)キチンとしたかっこうで行く。スーパーのお姉さんに気があるとかではなくて、やっぱりキチンとしているのが性に合っているからだ。
あの震災から少し生活が変わった。例えばゴミの分別をキチンとするとか、環境に優しい洗剤を使うとか、ボクに出来ることをボクなりにやっている。それは将来の人たちへの扶助というか、ボクたちはそれほどひとりではない、ということを考えたというか。
たぶん、あれからボクたちの体質は少し変わったと思う。ボクたちの生きている意味とか、働く意味とか、それに学ばなければならない意味なんてものを、それぞれがかなり深刻に考え始めたと思う。ボクたちはずいぶん悲しい光景を目の当たりにして、ずいぶんと涙を流した。そうしてその涙が優しさに変わったのだろうと思う。
そうは思うのだけれど、やっぱり犯罪は狂暴化している。逆に、ボクたちは世の中の刹那さを知ったのかもしれない。というか、やっぱりひとりなんだと、誰も助けてはくれないんだと、かなり多くの人たちは思っているのかもしれない。
子供や家族がいなくても、ひとりではないと感じさせる国家が必要なのだろうと思うのだけれど、相変わらず格差なんてものは拡大する一方だし、派遣切りはなくなったとしても、国家から切り捨てられている若者は増え続けて非正規が恒常化している現状ではやっぱり「ボクたちはそれほどひとりではない」ぐらいしか感じられないのだろうね。
向山公園 梅 2014年
2014年 向山公園の梅

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