「抱きしめたい 真実の物語」タクシー運転手の本分
道路運送法第一条には「…道路運送利用者の利益の保護及びその利便の増進を図るとともに、道路運送の総合的な発達を図り、もって公共の福祉を増進することを目的とする」とある。
「利用者の利益の保護」「公共の福祉を増進する」という道路運送の目的、すなわちタクシーの目的が明記されていて、これによってタクシーの公共性が担保されている。というか、ボクたちタクシードライバーが公共交通を担うことを義務付けられている。
利用者(国民)の「利」のために存在するといってもいい。公共の福祉のために働いているのである。
例えばコロ(1000円未満なんて運賃)の利用者を粗末にするとか嫌がるとか、老人や病人を面倒臭がるなんてこともあってはならないことなのだ。
逆に、そのような利用者こそ大切にしなければならない。企業の利益以上に利用者の利益、公共の福祉をまず考えなければならないということ、「世のため人のため」こそがタクシードライバーの本分なのだ。短距離や車いすの利用者を忌避するのは理由がある。つまり、賃金制度に問題があるからだ。それを運転手の問題にすり替えている業界が悪い。
抱きしめたい – 真実の物語
「抱きしめたい – 真実の物語」が公開されている。観てはいないのだけれど。タクシードライバーと交通事故により左半身の麻痺と記憶障害の後遺症を抱えて車椅子での生活を送る女性との出会いと愛の物語らしい。
車椅子のお客様は、ほとんどが自力でご乗車されるのだけれど、その車椅子の積み下ろしはボクたちの仕事になる。たぶん、半数のドライバーは面倒くさがる。積み下ろしだけではなくて、足を踏ん張れないお客様をお乗せしての運転はかなり気を使う。
妊婦も気を使うけれど、それ以上に運転が慎重になる。だから、面倒だと思うドライバーも多いはずだ。
抱きかかえて、なんてことになると、これまた難しい。もし落としたら、もし痛がったら、もしクレームになったら……。そんなことを考えると、やっぱり面倒だ。いくらそれが使命だとしても、介護士ではないのだからできれば避けたい。
北川景子さんだからなあ、という真実
でも、きっと、8割ぐらいのドライバーは北川景子さんだったら喜んでやるにちがいない。北川さんほど美人ではなくても若い女性だったらこれまた7割ぐらいは喜んでやるに違いない、と思う。(すみません)
北川さんは特別だ。あれほどの美人はそうはいないし、あんな美人がこれまたそんな後遺症と障害を抱えて車椅子の生活を送っているなんてこともそうそうはない。そしてそういう不運に遭遇するってこと自体すでに奇跡かもしれない。
錦戸亮さんのようなドライバーは少ない、という真実
そして錦戸亮さんのようなハンサムなドライバーも皆無だ。あんなハンサムなドライバーがいたらきっと指名だけで一日が終わる。中には貸切でドライブなんて人もいるだろう。そして「「抱きしめたい」なんて言われるに決まっている。
そしてあの若さであの美形だったら、タクシードライバーなんてやってない。世間がほっとかないし、女性がほっとかない。
となるとそんなふたりが出会う確率なんてのも奇跡だ。奇跡なんて人生においてそんなに起きるものではない。
奇跡が起きた、という真実
でも、起きた。チャーミングな女性と、錦戸さんより朴訥とした男性……。若い素敵なふたりがタクシーを通して出逢い、そして出産するという奇跡が起きたのだ。いや奇跡ではないのかもしれない。
ボクたちがお客様をお乗せするということ自体、一期一会、奇跡の繰り返しなのだ。というよりも、ボクたちを必要としている人たちがいつもそこに待っているということなのだ。
それがボクたちの仕事であって、タクシードライバーの本分は、利用者の利益の保護、公共の福祉なのだということを、あらためて考えさせられたのだ。
きっと今年はタクシードライバーがもてる年になるかもしれない。それも雅己さんと同じ名鉄タクシーのドライバーがモテモテになるかもしれない……。
なんて考えるのはきっと不謹慎なことなのだろうけれど、出会うことが仕事で、毎日が奇跡の連続だとしたら、それはとっても素敵なことなんだろうと思った。
だからがんばれオレ、そしてがんばれみんな、そこにはつかささんが、待っているんだからさ。そんな気持ちを胸に抱きしめて、がんばるんだよ。
サンデージャポンでの特集を見たけれど、やっぱり泣けたね。
こんにちは、良いお話ですね。毎日が奇跡の連続であるといわれると、なんだか頑張れる気がしてきます(^^)