ファミマの特製弁当販売中止について考えたこと

潮騒が聞こえるほどの海の近くで生まれた。貧しかったのだけれど魚だけは新鮮で豊富にあった。朝から刺身なんてこともよくあったし、味噌汁の具にも魚がいつも入っていた。野菜も種類は少なかったのだけれど、近くの畑で採れたものだったし、豆腐だって近所の豆腐やが造っていた。味噌も自家製だったし、干し大根や干物、ヒジキなんてものまで自家製だった。
いま思うと、それはとても贅沢でとても自然な食生活だったのだけれど、あの頃のボクたちは毎日繰り返される同じような食事にうんざりとしていたし、よくわからないレトルト食品やどこからやってきたのか分からない加工食品なんてものを「贅沢」だと考えていたんだ。あのなんとも甘ったるいミートボールとか色鮮やかな炭酸飲料とか。
うんざりしていたボクはある日、魚の煮物に付いていた内臓を「これは食べられるの?」と母にたずねたことがあった。怒る姿をあまり記憶していないぐらい穏やかな母親だったのだけれど、その時はかなり厳しく叱られた。「食べられないものは出してない」と母親はボクに言った。
というか彼女は「捨てるところがない」ぐらい食材を大事に調理していたし、それはあの頃のどこの家庭でも同じことで、貧しいからこそ物を大切に扱い、物に感謝していたということの表れで、キチンと食べること、というか、食材として葬り去れた命に対しての礼節みたいなもので、食べるということ、生きるということの、意味を分かっていたからだろうと、思う。
ボクたちはずいぶんと殺生をして生きているんだ。そんなことぐらいみんな分かっているのだろうけれど、ボクたちがこの手で魚をしめて捌くこともないし、野菜を土から掘り起こすこともないし、だいたいそう言ったものを育てるってこともしないのだから、それが生きていた、なんてこと感じることが出来ないところにいるもんだから、食べ物が、まるで、魔法で出来ているように錯覚している。
あの原型を留めない綺麗に調理された「料理」というものがさらにその感覚(食材が生命であったということ)からボクたちを遠ざける、麻痺させる。
「フォアグラの飼育は残酷」ということで、ファミリーマートの特製弁当が販売中止になったそうだ。
ファミマに「フォアグラの飼育は残酷」と抗議 やむなく特製弁当の販売を中止 – MSN産経ニュース
フォアグラだけが残酷でもないだろうに、とボクは思った。というか、人の命は、その残酷の上に成り立っている。たぶん、その「残酷さ」をフォアグラの場合はみんなが知っているからダメなんだろうと思った。あの育て方が〝特に″異常だからダメなんだろうと思った。確かにあれは異常で残酷だ。ボクは食べないし、食べようとは思わない。とりあえずフォアグラを食べなければ飢えるってことでもないし、栄養失調で倒れるってこともないのだし。
ボクが言いたいのは、もっといろいろな残酷さが、人が生きるために行われてますよ、ということ。例えばそのガチョウでいえばダウン。これだってかなり残酷な方法で羽毛が刈り取られていたりする。たぶん、ほとんどの人は知らないし、着ているダウンジャケットに使われている羽毛がどこでどういう方法で採取されたかなんてことは、デザインや値段なんてことほどに興味がないはずだ。
生きたガチョウから羽を手で摘むライブ・プラッキングという方法でボクたちが着ているダウンジャケットの羽毛が採取されていて、それがとても残酷な方法だと知ったら、みんなは今回のファミマの弁当のように抗議するのだろうか?
生きた鳥は羽を毟られる痛みに耐え、そして皮まで剥かれのた打ち回る。その剥がれた皮を、針と糸で縫合し、また羽が生えるのを待つ。そしてまた毟り剥ぐ。刈るのではなくて毟るのだ。ボクはこの映像を見た時に吐きそうになったんだ。
食べるという行為よりももっと人の命とは関わりあいの少ない着るという行為にさえ、人は生命を残酷に扱う。でもね、それを完全にダメだとすると、ヴィーガン (Vegan)にでもならなければならないと思うんだ。それはかなり難しいことなのだけれど(実はボクは目指していたりするのだけれど)、そういう感覚をキチンと持つことは出来ると思うんだ。人は生かされているってこと、そして調理されたものではなくて、そのもとの姿を考えて感謝することは簡単に出来ると思うんだ。
きちんと残さず食べるということも、そのひとつだろうと思う。きちんと使うということも、そのひとつだろうと思う。そしてムダなものを買わないことも、長く使えるものを買うということも、感謝のひとつだろうと思うんだ。ボクたちの生活は豊かになったのだから、そういった選択も簡単に出来ると思うんだ。遠い国からやってくる野菜よりも、地元の野菜を買うなんてことも、簡単に出来ると思う。出所のしっかりした製品を選択するということも簡単に出来ると思う。たとえ海辺の街に住んでいなくてもね。
時々、あの時の母親の言葉を思い出すんだ。「食べられないものは出していない」母親は魚の食べられるところは全て食卓に上げていたのだし、それは彼女の手で葬り去られた命への弔いであり感謝だったのだろうと思う。そしてその命の循環の中、それはボクたちが住んでいた海を中心とした世界だったのだけれど、その中にボクたちがいるということを解った上での行為だったのだろうし、何百年も続いた儀式でもあったのだろうと思う。
Lebendrupf von G?nsen in Ungarn – YouTube
ダウンの真相 – パタゴニアのブログ「クリーネストライン」
ライブ・プラッキング
あなたの着ているダウンジャケット、鳥のすすり泣きが聞こえてきませんか?

3件のコメント

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    牛や豚や鶏など収益性を良くするため、いろいろ加工されていたりするようですね。新鮮な魚の刺身とか食べてみたいです。

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    コンビニ弁当でフォアグラ企画が社内で通るのも?ですが、中止の理由は もっと酷い… 最先端企業なら想定内だったはず。どっちもどっちで吐き気を催します。ところで、中高生の運動部が遠征する時に、食中毒の心配が【無い】という理由でコンビニ弁当を指定する父兄と学校関係者がワンサカいる時代です、最近のノロウィルス報道が、その傾向に拍車をかけている… なんだろうね。

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    良い文章ですね。
    今になって解る、昔の良さ。
    厳しい環境だけども、精神的にも
    自然な生き方があったのかなと思う。
    フォアグラの件は事のバカさ加減に
    うんざりですね。文化って何だろうね。

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