豊橋漂流(2)

こんな風に季節は変わるのかなあ、なんて思っている。だって水不足で暑かった夏の痕跡がそこいらにあって、例えばボクの日焼けした二の腕にも夏は残っている。いきなりの冬で、まだ準備もできてなくて、海に行けば海水浴客がいそうなぐらいの、それぐらいの時間しか過ぎていないはずだ。
冬が来た、というよりも、また一年が終わる、ということのほうが気持ちを冷たくさせる。
吉田大橋から石巻山遥拝
豊橋公園から国道一号線、吉田大橋を渡る。橋脚の点検補修を行っていて、そのための橋が架けられている。広重の東海道五十三次に描かれている(場所にある)のは現在の「豊橋(とよばし)」で、明治になって架け替えた時に「吉田大橋」から名称も変えた。昭和になりその豊橋(旧吉田大橋)の上流、関屋町から下地に新たに橋を架けた時に「吉田大橋」の名称を再度使うことになった。それが現在の吉田大橋。ややこしい。遷宮ではなくて遷橋のようでもある。
また一年が終わる、というよりも、もうほとんどこの数年間というものは、同じような日々が同じように終わってゆく。それはボクにとっては苦痛ということではなくて、そして幸せということでもなくて、ゴールに向かってたんたんと進んでいるようでもある。相変わらずそのゴール、消えてなくなるという願望も強くて、というかもうほとんど世間の欲みたいなものとは無縁のところにあって、老人のような暮らしをしている。ただ生きるために月に十数万円を稼いでいるという、なんとも効率のよい生き方をしている。
橋の上からの石巻山は神々しくその美しい山容を遠くに見せる。ボクは歩いていた。泥のように眠れるまで歩るくと、またなにか見えるかもしれないと思った。あの四国遍路の時のように。それは幻覚でしかないとしてもだ。

結局、なにも体得できないままボクは高松自動車道鳴門パーキングエリアにいた。そこに立つと風景、風も光もそれまでのものとは全く違って見えた。文明の中にいるといことが実感できたし、それは確実にボクを涅槃ではなくて、混沌へと運び去る大河のように感じた。
本線に合流するとすこしして眠くなってしまった。そして眠った。目が覚めた時には明石海峡大橋を渡っているところだった。神戸の街が見えた。
文明の匂いがした。
欲望の香りがした。
ボクは少しの間、その風景をまるで外国へ行ったときにランディングする飛行機の窓からの景色のように眺めていた。ずいぶんと見慣れぬ風景だった。同じ国だとは思えなかった。とつぜん自由の女神が見えるのではないかと思った。

生々死々去々来々転々(44日の3) | 四国遍路・野宿編

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