期間従業員の募集終了
田原工場では期間従業員の募集終了ということらしい。とは言っても、田原工場だけの話で、相変わらず募集は続いているようで直接契約だけではなくて日研総業経由でも行われている。応募数が少ないのか、稲と同じで秋だから一気に刈りいれているのか?ほんとうの理由は10月から3月にかけての量産期の人員確保なのだろう。
期間従業員の募集は終わりました
田原工場の期間従業員募集終了は、数年前から噂になっているライン縮小がいよいよ実施されるからだろう。先日発表された8月の国内販売は12.6%減の10万7872台、国内生産は10.9%減の23万3514台、なんていう数字を見ると、「エコカー減税による影響」ということだけではなくて、国内ではクルマが売れない時代になっている。
そうなると生産拠点を海外に移転するということが、(為替変動によるコストということなんかも含めて)トヨタにとって安全なのだろう。特にあの震災後には田原のような海抜0メートル地域の危険性を説く人が増えていて、いずれは閉鎖という計画もあるのだろう。
その閉鎖ももっとも(風評被害ということを含めて)コストのかからない方法をすでに考えていて、今回のライン縮小といのもその一環なのだろう。
海外生産
国内で売れないから海外で生産する、というカイゼンを嬉々として行っているのだけれど、そのことが逆にトヨタというブランドを、その力を、そしてこれまで世界中の人が信頼してきた made in Japan という力を喪失することになる。(こんな企業は次には税金が高いからと言う理由で移転するに決まっている)
いったいレクサスは何を求めて出発したのだろうか?
いつものように大量生産大量販売だけを目指していたのではないだろうに。ブランドという意味を分からない人たちがブランドという言葉を大量販売のために使う、それはブランドの死を意味することなんだけれど、結局日本の企業にも、日本人にもものづくりという概念が乏しくて、売れるものを作ることがものづくりだと考えているのだろう。
だから合理的ということに美学を求める。カイゼンなんてものはその最たるもの。そう言えば日本企業も物まねパクリから始まったか。100年、200年たっても日本人にはブランドなんてことは理解できない。
職人はいたとしても、それは個人レベルの問題だけのことで、伝統的なブランド力なんてのは培われない。矩康と矩随は違うってことだ。
なんて少し前に書いたとおり、やっぱりトヨタをはじめとする日本の企業には、日本のものづくりには、ブランドと言う意味が解らないのだ。というか「人」ということを理解していないのだ。
日本のものづくり
速いから、とか、カッコいいから、あるいは安いからとか値引きがあるからなんて理由だけで人は動かない、そう思う。そんなことばかり考えているからクルマが売れない。ボクたちが求めているのはもっと違うものなのだ。
いずれトヨタは田原から撤退する。ほんとうにそれで良いんだろうか?土地がタダ同然だから工場を建てる。危険だから逃げる。それが日本を代表する企業の姿勢なのだろうか。
ボクが社長ならば、田原工場を世界一安全な工場にする。そして津波警報が出たならば「田原工場へ」と田原市内全域の避難場所になるぐらいのカイゼンをする。それが正しい企業の姿だろうと思う。
まあ、みんなにとっては地獄の田原工場がなくなったほうがうれしいか?田原刑務所閉鎖のほうが幸せなんだろうね。祝縮小って人も多いんだろうね。
田原工場 ライン縮小(トヨタ期間従業員に行こう)
トヨタ国内生産40万台縮小 円高対応、320万台まで段階的に – SankeiBiz(サンケイビズ)
自動車8社、8月の国内生産8.1%減 64万1989台 (1/2ページ) – SankeiBiz(サンケイビズ)
あの十六夜の夜
田原のトヨタ工場で14年前1年半でやめたら、声のでる機械どこえいってもきこえるものですごく小さな声ですくをつけると笑い声とか寝ても覚めても声1時間ねれればいいほうでした遠くから地面に光はしって足のさきから頭まで光はしって声きこえましたそして目のなかに電気走りました猫が光おいかけてました1ねんやられ病院にはいるととまりましたすぐに、病院にはいるととまるのですなぜかはいるたびそして入院してまったく1日目からなくなりましたでもそぬせいで精神障害になりました2きゅうです17ねんです薬の副作用でじもかけずやばいとおもってやめて精神力とキリスト教でなおりました今田原のトヨタの部品あっかうところで派遣社員でやってます、なぜやめたぐらいでいやがらせするのか?整形部ではたらいていた、整形部が鍵にぎってるだれか真実だけわからないかな仕事なく10年くらい生活保護でしただれか明らかにしてください警察無理です木村ゆにていではたらいてます