目黒のさんま、九州のさんま
『目黒のさんま』は落語のネタ。目黒に鷹狩りに来た殿様が、当時安い魚とされていたさんまを初めて食べることから始まる噺…。
子供の頃、食卓に秋刀魚が上ることはなかった。秋刀魚がなくとも海辺の街の市場にはそこで捕れた魚が溢れていたし、朝食に刺身なんてこともよくあることだった。
はじめて秋刀魚を食べたのは、たぶん、ずいぶんと大きくなってからだと思う。居酒屋に行くような年齢になって、秋刀魚の塩焼きをアテに酒を飲み始めた頃だったと思う。たしか250円とか300円だった。同じ値段の鰯よりも量的に勝っていたさんまを選んだのは、味覚なんてものよりも、あの頃のボクの懐具合がそうさせた。
居酒屋のさんま
秋刀魚が刺身で食べられることを知ったのも、確かその頃通っていた居酒屋だった。「新鮮なものしか刺身にならないよ」とMさんというそこの店主が自慢げにボクに話してくれたことを憶えている。「ふ~ん、それでも鰯や鯵の刺身のほうが美味いや」なんて思ったんだけれど、口には出さずに「さすが美味いっすね」なんて言った。
物流システムの発達が、遠い九州でも北の魚を生で食べられるようにした、ということと、情報システムの発達がそれをさせたのだろうと思う。ちょうど恵方巻きのように、地方文化を国家全体の文化に昇華させた。
それに加工技術とか保管技術が秋刀魚を年刀魚にしてしまったし、それはすべての食品や消費財に言えることで、ボクたちは「いつでも、どこでも、ほしいだけ」消費できるようになった。資本主義の罠にまんまとはまってしまって、消費中毒に陥ってしまったということだ。
もう一度言うけれど、子供の頃、食卓に秋刀魚が上ることはなかった。父親がラジオで「目黒のさんま」を聞いていたとしても、ボクたちはその秋刀魚を食べることはなかった。
九州のさんま
両親は、というか、その頃の人たちは、九州で食べる秋刀魚は美味しくない、ということをなんとなく知っていたのだ。いまほど流通や保存技術が発達していなかったのだから、きっと美味しくなかったはずだ。そしてなによりも鯵や鯖や鰯や太刀魚なんて魚が溢れていたのだから、弱りやすい秋刀魚を扱う必要もなかったのだ。(高級魚としてデパートにはあっただろうけれど)
秋刀魚が生で食べられるようになった今でも、きっと「さんまは目黒にかぎる」のだ。北極熊がアボカドを食べないように、コアラがアザラシの肉を食べないように、ほんとうはそこで捕れるものを食べるってのことが正しいように思う。
正しいことのように思うのだけれど、これほど食料自給率が低くなり、農業が偏在するようになっては、ボクたちはさらに雑食生物になるしか生存できなくなった。そしてやっぱりそれは資本主義とか経済ゲームの罠で、「さんまはイオンにかぎるなあ」なんて「イオンのさんま」なんて落語ができるほど(できてないけれど)、資本家に簡単に操作されるロボットになってしまった。
さんまは目黒に限る?
それは豊かさの証だというかもしれないけれど、ボクはどうもなんか違うような気がする。地産地消が一番、なんてことでもなくて、そして秋刀魚の問題でもなくて、あまりにも変化しすぎたこの国の食卓の問題で、もう自分自身でコントロールできなくなってしまった生産と消費、経済の問題で、環境やエネルギーなんてこととリンクするボクたちの感受性の問題でもあると思うんだ。
なんて書きながら、秋刀魚を食べているのだけれど、秋刀魚はやっぱりサンヨネ(豊橋のスーパー)に限るね…:)
#う~ん、まとまらなかったなあ。