帰省、そしてまた哀しみの日曜日

帰省、そしてまたボクたちの哀しみの日曜日がやってきたね。

あの頃、どうして帰省なんてするんだろうと思ったことがあった。夜行バスに揺られて名古屋駅に着いたボクは、まだたっぷりと熊本の下町のニオイがその記憶の中、というよりは着てる洋服のポケットの中やザックの中なんかにしまい込んでいて、その前の晩の想い出の中に心地よい居場所を探していた。

ボクはずいぶんと後悔もしていた。吐しゃ物の中に混ざり合った過去を、そのクサくキタナくケガラワシいものの中から拾い集めてはその汚れを払いのけて大切な宝物のように抱きしめていた。

ボクには帰る場所がなかったのだけれど、逢う人たちがいた。もうすでにそれら希少な人たちさへその過去の中へ葬ってしまったのだけれど、あの頃はまだ油断する人たちがいた。帰省ということ、それは独りではないということを確認することなのだろうと思った。

そして夜行バスに揺られてたどり着いた名古屋駅の喧騒によってボクはまた独りだということを知らされた。

盆が早よ来りゃ、早よ戻る。

帰省のたびに感じていた哀しみ。戻ってきたところでそこはボクたちの本当の居場所ではなくて、期間を定められた仮寓であった。あるいは強制収容所のようなニオイもした。10日も留守をしていた部屋はどこか黴臭かったし、遺跡のごとく10日前のままであった。

ボクはイオンで買ってきて惣菜とかお弁当をビールと一緒に胃袋にいれて、そして「さざえさん」を見た。純日本的な家庭生活がそこにはあって、家族というものの在処がそこにはあった。そうしてメソメソとしていた。次の日が一直だったりすると「眠らなきゃ」なんてお呪いを口にし始めた。

ボクたちは囚われていた。ボクたちは呪われていた。不幸ではなかったにしろ、なにか普通ではない感覚の中にいた。その感覚が非なるものの正体だったのかもしれないと思う。どかかで疎外されていたし、それがそのままあの「個室」と言われる寮の黴臭さだったように思う。

期間工というものをボクは完全に否定はしないけれど、これほど豊かな国家においてこれほど違和感のある働き方ってのがあるのだろうかと思うのだ。それをつらつらと何年も書いてきたのだけれど、今も、こうして期間工ではない日々の中にあっても、後遺症にようにこの日曜日の、この時間が来ると、なぜだか涙があふれてくるのだよ。

そしてまた哀しみ、18時30分がやってきた。

別れのしかた

別れのしかた(2)

そして哀しみとか

盆帰り(再掲)

盆帰り 帰省した熊本で

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2件のコメント

  • 福島52歳さん、どうも。
    もうずいぶんと長い間帰省なんてしてないです。母親は健在なのですが…。
    親がいても兄嫁という他人が入っていたりすると、また泊まりにくいということもありますよね。
    年忌にも帰れず墓参りには帰りたいと思っているのですが、なかなかできません…。

  • 親が生きているから帰省していた。
    親が亡くなると帰省しても親身にしてもらえない。泊まるところが無いので行けない、さびしい親族関係。
    縁者の薄さに涙が出る。

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