格安タクシー勝訴だって

貧乏暇なし、車乗り…。
格安タクシーといっても、初乗運賃の問題であって、距離を走れば「結局同じかよ」なんてことになるかもしれないね。
この4月に豊橋市の東海交通がタクシー運賃の値上げを国交省に申請した時の運賃構造を見ると、初乗り600円と確かに現行の700円から100円も格安になっているのだけれど、メーターが2回更新される1500メートルから割高になっていて、初乗り=格安ということでもない。
タクシー値上げ 11月から運賃~タクシー規制について(4)~
駅や病院の乗り場でのタクシー会社を選べない現況においては、複数の運賃制度は逆にお客様に迷惑をかけるだろうし、混乱も起きる。
一連の格安タクシー裁判において「ドライバー」と「顧客」の視点がいつも欠如していて、9条の問題(道路運送法9条)、「不当な競争を引き起こすこととなるおそれがない」、「適正な原価」に「適正な利潤」を加えたものが「運賃」として決定される、要するに企業という視点だけで語られる運賃決定システムが、どうもボクとしては違和感があるのだ。
労働環境や安全性、利便性なんてものも、その「適正な原価」と「適正な利潤」という曖昧模糊な文脈の中で語られるだけで、じゃあ逆にその適正化がなされればボクたちの長時間労働や賃金、安全性や顧客の利便性なんてものが担保されるのか、といえば、それもまた疑問で、人件費が7割という費用構造からすれば、賃金を下げればいくらでも運賃を下げられるのだから、どうも誰もうまく説明なんかできはしない、そう思うのだ。そしてそのことが岩盤規制なんて批評の論拠になる。
貧乏暇なし、蜆売り。
ただで蜆を拾ってきて、そして小僧が行商をする。原価も安ければ儲けも低いので、何度も何度も拾っては売るということを繰り返す蜆売りのことを言ったのが「貧乏暇なし」なのだ。
それと同じことがタクシー業界でも起きていて、格安になったとしても回数と長時間労働でなんとか300万円ほどの年収を確保することが可能となっていて、さらに格安が進めば回数と時間を増やすだけで、ドライバーの貧乏暇なしってのは変わらないということだ。
蜆売りと同じ賃金制度、要するに歩合制賃金ということが、そのことを助長する。回数と時間で収入を保とうとする。本能だ。会社はなんら痛まない。ボクたちドライバーの収入が減ったところで、賃金というコストが減るのだから、常に利潤は適正だ。
それどころか増車という蜆売りを増やすだけで、企業の利益は増やせる。さらにこの歩合制という安全弁が「適正な原価」という企業の利益を担保する。
格安について反対するのではなくて、そういう仕組みに反対なのだ。ドライバーと顧客の視点の欠如が問題なのだ。蜆売りの親方は常に儲かり、売り子は疲弊する、という江戸時代の仕組みそのものに対して異議があるのだ。
「公定幅運賃制度の導入には安全性や労働条件の悪化を防ぐ目的があり、運賃幅の設定は国に一定の裁量権がある」と裁判長が指摘したことは、実は「格安タクシー勝訴」ではなくて、ボクたちの労働条件や安全、そうして共有地の悲劇を避けるために、やっぱり国による規制は必要なのだということが裁判によって確認された。それは勝訴ではなくて、やっぱり規制は必要だよね、ということと同じだろう。
格安と言ったって、本当は安くないかもよ、というのが、今日の主題だったのだけれど、長くなったのでこれまで…。
貧乏暇なし、車乗り。
寒いね。

 この日の判決で、西田裁判長は、同運輸局が定めた運賃幅について「タクシー事業者の運賃や経営実態などを全く考慮せず指定したもので、合理性を欠く。裁量権の逸脱や乱用で違法」と結論づけた。
 同社は訴訟で「公定幅運賃の制度そのものが営業の自由を制限しており、憲法に違反する」と主張していたが、西田裁判長は判断を示さなかった。

格安タクシー勝訴 大阪地裁、国の変更命令認めず  :日本経済新聞
鈴本演芸場
三三師匠がトリだったので上野鈴本まで行ってきた。ちょっと前のことなんだけれど。

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