ノヴェンバー・ステップス
白壁に張付いているアイビーの艶っぽい朱色の向こうの青空、雨上がりの暖かい朝。クリスマスの電飾が11月の15日なんてこと感じさせる。楽しみとはほど遠い、なんだか面倒くさい年末とか年始は、ゆっくりゆっくりとやってきていて、また、そうだね、枯れ葉のように、人の心を哀しみに染めたりする。秋も哀し…。
クリスマスとか正月とか、みんな楽しみに待っているのだろうか。なんて聞いてみたところで、やっぱりボクの周りでは「別に」なんて、呪われた返事をするだけだ。そうしてこの貧乏アパート周辺も、似たような不幸の匂いと音しか聞こえてこない。たまに賑やかになる瞬間といえば、階下の老人が救急車を呼んだ時と、同じくその隣辺りから聞こえる物騒な痴話げんかの時だけで、あとは生きているのか死んでいるのか分からないほどの静寂、棲遅。
その貧乏アパートの喧嘩といえば、「死んでしまえ」とか「出ていけ」なんて呪われた決まり文句で、聞いているボクたちは「お前はもう死んでいる」とか「すでに社会から退出していますが」なんてクスクス笑っているのだから、それはそれでクリスマスとか正月よりは楽しいイベントとなているようでもある。
先日はボクも咳をした瞬間に何かが気管に詰まって死にそうになった。「死ぬ~」なんてハシタナイ、声にならない声を、少しだけ(たぶんストローほど)開いた気道を使って「*&#”nmp#$&&~」と出したのだけれど、気づく人もなく、助けてくれる人もなく、スマホ配車なんてものはいらないから「スマホ救急車なんてアプリをお願いします」なんて真面目に考えたら、ああ、それもこれもこのアパートが事故物件で呪われているからだ、なんてちょっぴり被害妄想になった。人の喧嘩を笑っている罰が下ったのだろうか?
そのまま死んだとしても、今はまだ会社という社会との繋がりがあるから、たぶん「腐乱死体で発見」なんて事件にならないだろうけれど、いずれはそうなる可能性があって「またあのジジイ救急車呼んでいるよ」なんてことになるかもしれない。
そんなことを考えていると、生きるのも難しい、死ぬのも難しい。というか、その場所が難しいのか。白壁に張付いているアイビーのように「ここですよ」なんて艶っぽく枯れてしまいたいと、そう思うのだけれど、どうもそれはそれで難しいのかもなあ、なんて途方に暮れているのだ。
さてと、夕ご飯。
蕪のぬか漬けできたよ。
テルさん、どうも。
今日は勤労感謝の日で休みかもしれないですね?
暑い時期が過ぎて少し身体も楽になったかもしれないですね。あの工場の独特のニオイが懐かしいですが。
確かにボクも人に迷惑をかけないように死ななければなあ、なんてことをいつも考えています。
保険とかもそのために。
そんな人たちが多いのもタクシー業界かな。だからもう少し業界のために、なんて思ったりもします。
ぬか漬け、趣味なんで…。
田原笠山さん、こんばんは。苦手な2直もあと1日で休みですのでほっとしています。先週からタクトタイムが上がり今まで残業があったのが定時上がりになってきましたので稼げないですが体は楽だからいいかなと思ってみたりしています。
人間、死ぬ時は1人とよく言いますよね。私は既に天涯孤独の身ですので将来腐乱死体で発見されない様にとか考えてしまいます。
正直生きるだけでも難しい事だと強く思ってしまいますね。
元々私にとってはクリスマスや正月なんて普通の1日と変わりない物でしたね。
ぬか漬け、美味しそうです。