無権利社員と男と女

悲しいぐらいの青空だね。

豊田の最高気温は37度の予報。あの夏を思い出してしまう。そんなボクは、良いことなのか悪いことなのか、あのライン作業と言う激務に耐えられないだろう体質に変化していて、その思い出に身震いしたりしている。若かったあの頃、なにも怖くなかった、なんて唄を、これまた思い出してしまう。

派遣法改正案が参院厚労委で審議入りした。安保関連法案と同じく審議されるだけで、自民党案で素通りだ。これで派遣社員の身分がキチンと保障され、3年間雇用も保障される。そしてその後もまた“職を替えて”3年間派遣社員として生きることができる。(直接雇用されれば話は別で、同じ職種で今度は「キカンコー」として雇用される可能性が大だ)

こうして書いていると、まあ、まるで鮎の友釣りみたいで、激務の自動車工場や部品工場のライン作業員の入れ替えには便利な法律ができたと感じる。激務の単純作業なんてのは3年が限界だ。正社員はその間にいろいろな作業や部署を経験してキャリアアップする。友鮎の役は期間従業員や派遣社員にしてもらって使い捨てるというのが、最近のこの国の工場のセオリーなのだ。

そのセオリーのためには、外国人を「研修員」なんて呼んで使い捨てる。

常用代替防止という理念が、いや道理が、いや道徳が、倫理が、この国の労働法から失われてしまう日がやってきた。常に派遣とか期間なんて非正規な鮎、いや、人たちが使いまわされ使い捨てにされる。正社員では雇用コストが高くなるというのが、国民を使い捨てにするという非人道的な行為の合理性らしい。

派遣労働禁止はどこにいった。

いつから人間までも道具として扱われるようになった。

派遣労働禁止はどこいった

常用代替は悪ではなかったのか。同じ仕事をしていて「正」と「非」がいる、それが許される社会が本当に正しいことだと、政治家もマスコミも、そして大衆も考えているのか?

そもそも派遣や期間社員が悪いのではない。人権が無視されているということが問題なのだ。そうじゃないのか?「非」という人たちを差別し、それを正当化し合理化することが、そして国益よりも企業収益の最大化のほうが重要だという思考が、本当に正しいのだろうか。

特別リポート:「スバル」快走の陰で軽視される外国人労働者 (ロイター) – Yahoo!ニュース

スバルの下請けでの外国人労働者の問題が報道された。なにもスバルだけではなくて、この国の企業は常に人権を軽視し無視し、成長しているのだ。そしてその事実を容認する国家の無能さや、国民の無慈悲さを見ていると、この国に未来なんかあるはずもない。「非」なんて呼ばれて嬉々としている国民が、これまた「戦闘員」として喜ぶ姿を想像すると、国破れて国家なし、すでにこの国は終わっていると、思う。

もう30度ぐらいになっているかもしれないね。

君たち非正規には辛くて長い夏になりそうだね。夏休みだって非収入期間だしね。まあ、あと一週間ほどの辛抱だ。

派遣法改正案、参院厚労委で審議入り
NHKニュースウォッチより

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