たま駅長の死で考えたこと

猫も犬も、好きではない。ペットにするということが好きではないのだ。自分はペットになりたいのにね:)

それでも子供の頃は犬も猫も飼っていて、庭には鶏がいたり、水槽で海の魚を育てていたりした。よく言われるように「命の大切さ」について、ボク自身は分からないとしても、それら動物たちから学んだのだろうと思う。きっと、別れの辛さみたいなものを知っているから、ペットと暮らすのをためらうのかもしれないと、思ったりしている。

たま駅長が死んだ。和歌山電鉄の社葬には3000人も参加したそうだ。たま駅長を雇ったことによってずいぶんと経済効果があり、企業の利潤もあったのだろう。人間の駅長のように年間数百万の賃金も支払わなくても良いし、退職金も住宅もいらないのだから。

たま駅長がすばらしい活躍をした、というよりも、大卒でもなく弁が立つわけでもなく経歴も実績もなかった三毛猫たまを駅長にする、なんてことを誰が思いついたのか知らないけれど、その人事(猫事か)こそ、それを考えた企業の姿勢が一番すばらしいことなんだろうと、思う。(NEWS WEBでもそんなツイートがあった)

企業を成功させるためにはいったいどんな人を雇い、どんな人を管理者にすればいいのだろうか。管理者、上司には、きっと、たま駅長のような人(猫)が、ほんとうは、最適なのかもしれないと、考えた。

どういうことかというと、

(1)自利ではなくて常にその企業の利益だけを考えている人(猫)
(2)部下、従業員が働きやすい環境を造り出せる人(猫)
(3)部下の不平不満をきちんと聞く(聞き流す)能力のある人(猫)
(4)お客様のクレームをきちんと聞く(聞き流す)能力のある人(猫)

そしてなによりも

(5)正直な人(猫)
(6)公平な人(猫)

なのだろうと思う。

たま駅長はこの全てがあてはまり、お客様と従業員、全ての人にアプローチャブルであったことが、駅のそして和歌山電鉄の発展に繋がったのだろうと思うし、その人選(猫選)を実行した企業そのものに全てがあてはまっているのではないかと思ったのだ。

世の中のリーダーにはたま駅長にできることを出来ない人が多いように思う。サルでも、いやネコでも出来るんだから、猿真似、いや猫真似をすればいいのに、なんて思ったりするんだけれど、ヒトはとっても欲深いから、たま駅長みたいにはなれないのだろうなあ、なんて考えている。そして、欲深いもんだから、人選(猫選)を誤ってしまうのだろうと考えている。

NEWS WEB 井上あさひ
先週の「NEWS WEB」のオープニング。開始直後に「あさひが眩しいぜ!」というenojun1192さんのツイートにちょびっと感動して、これまたちょびっと涙目になった。

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