旧伊那街道旅籠跡:馬頭の鈴が響く清崎宿の賑わい
2026年9月7日
信州と三河を結ぶ街道が交差するこの地は、かつて多くの旅人や行商が行き交い、熱気に満ちあふれていました。山あいにひっそりと佇む静かな清崎の集落には、今も往時の面影が静かに息づいています。
伊那街道と作手街道が交わる宿場の面影
かつて東田内は、海老から与良木峠を経て田口へ抜ける伊那街道と、そして北西の田峰観音方面へと続く作手街道が交差する重要な交通の要衝でした。
そのため、この清崎宿には旅籠が何軒も軒を連ねていたといわれます。田口鉄道の清崎駅からの道と街道が交わる角にあったのが、この旧伊那街道旅籠跡の柏屋です。その軒下の造りに往時の面影を残しています。古地図を紐解けば、向かいには松屋、その先には平松屋の名が残されており、この道筋がいかに賑やかであったかを物語っています。
難所を越えた馬方たちの健脚と賑わう街道景気
根羽を出発した荷馬車は、標高900メートルを超える折元峠や険しい与良木峠やを越えて豊橋を目指しました。急傾斜が続く過酷な道中でありながら、わずか一泊で豊橋まで荷を運んだ当時の馬方たちの健脚には驚かされるばかりです。
大正末期には、根羽で1叺(かます)あたり8貫(約30kg)2円の炭を、豊橋の問屋で3円で売ったとの記録があります。1車で30叺積んで一回あたり30円の儲けがあったといわれます。帰り荷もあり、往復の運送で大きな利益を上げていました。(『北設楽民俗資料調査報告』には、当時の運送挽きの日当は2円程度と記録されています」
わずか数日で一般的な月収ほどを稼ぎ出すこともあった馬方たちは、寄港地の宿場で豪勢に酒を汲み交わしたと伝えられます。清崎宿もまた、そんな活気ある街道景気の温もりと歓声に包まれていたことでしょう。
旧伊那街道旅籠跡の画像



参考文献
