虎屋製材跡:豊かな森林資源と鉄道が紡いだ産業の足跡

虎屋製材は、昭和5年の田口鉄道開通に合わせ、清崎駅のすぐ傍という絶好の立地に開業しました。

この田口鉄道の敷設は、宮内省が管轄する御用林の木材搬出と深く関わっていました。大正13年、当時の田口町長・関谷守男氏らが宮内省へ請願書を提出しまう。それには「鉄道さえ開通すれば、それまで運び出す手段がなく打ち捨てられていた間伐材が一瞬にして価値ある売り物へと変わる。」という強い訴えが記されていました。この地に製材所を設け、間伐材を板や角材へと加工して出荷することは、地域経済の発展と宮内省との約束を果たす重大な使命だったのです。

皇室の森を動かした、田口鉄道「宮内省への請願書」を読み解く

木材の街・北設楽郡を支えた「虎屋」の屋号

昭和12年に刊行された『愛知県工場総覧』によると、当時の北設楽郡には46工場がありました。そのうち実に37工場が製材業を営んでいました。また、田口町内には4か所の製材工場が記載されいます。清崎の地には合名会社清崎製材所と並んで虎屋製材所の名が記されています。

虎屋製材所は昭和6年に設立され、そして代表を務めた伊藤虎次郎氏のお名前が「虎屋」という商標の由来と考えられています。山から切り出された木材の芳しい香り。そして、木工機械の力強い音が、連日この集落に響き渡っていました。

現代へと静かに息づく産業の記憶

鉄道輸送の利便性を活かし、奥三河の豊かな林業を半世紀以上にわたって支え続けた虎屋製材は、平成2年まで創業を続けていたと伝えられています。

かつての活気が嘘のように穏やかな時が流れる現在の国道257号線。そこには「虎屋製材跡」と記された案内板が静かに佇んでいます。青々とした木々を揺らす山風の中に、かつて木材輸送に情熱を傾けた人々の誇りと、田口鉄道とともに歩んだ産業の記憶が今も息づいています。

虎屋製材跡の画像

参考文献

田口鉄道の軌跡:国策と激動の昭和を駆け抜けた鉄路

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