設楽町清崎の百万遍念仏:祈りの輪が紡ぐ、時を超えた絆
奥三河の豊かな自然に抱かれた設楽町清崎。この地には、かつて五道・入・上・下の4つの組が存在し、それぞれの集落が「念仏集団」を形成して互いの絆を深めていました。
明治の廃仏毀釈によって、一度は各組の毘沙門堂が撤去され、伝統の百万遍念仏講も途絶えてしまいます。しかし、明治23年に清崎下組の毘沙門堂が再建されると、人々の熱い想意とともに歴史ある祈りの行事が力強く復活を遂げました。
大数珠に込める人々の願いと歴史の変遷
百万遍念仏で用いられるのは、『設楽の文化財 無形文化財編』(1973年発行)によると、長さ3.4メートル、数珠玉の直径3.5センチ、球数280個という大数珠です。そして参列者が輪になって座り、互いに声を合わせて念仏を唱えながら大数珠を廻していきます。500周させることで「百万遍」を奉唱したことになると記されています。
また、設楽町公式の観光案内では「講員20人、1,080顆の大数珠で46回まわすことで百万遍」と案内されています。(数珠の一顆[一玉]が一回の念仏と言われています)。
百万遍念仏と大数珠
(この複数人でおこなう念仏が「略法草修(りゃくほうそうしゅう)」。一人で7日あるいは10日間に100万回お念仏を称えるものを「如法真修(にょうほうしんしゅう)」といいます)
かつては旧8月5日に組内の各家々を順に巡り、仏壇の前で念仏を捧げていたことから「五日念仏」と呼ばれていました。やがて昭和10年頃になると、戸別巡行から毘沙門堂を一堂に会する場へと集約されます。それに伴い、行事を担う人々も家々の戸主から地域の女性たちへと受け継がれ、時代の移ろいとともにその形をしなやかに変えてきました。
疫病退散から地域の絆へ―受け継がれる無形文化財
もともと百万遍念仏は、京都の知恩寺(百万遍知恩寺)にて疫病退散を祈願したことが発祥とされています。そして、室町時代から江戸時代にかけて、浄土宗の普及や旅芸人らの行き来を通じて全国各地へ広まりました。また、清崎の地でも、定期的な「五日念仏」だけでなく、狐憑きや重病人が出た際にも平癒を願って念仏が唱えられていたと伝えられています。
地域の暮らしと病への恐れ、そして互いを思いやる心に寄り添い続けていたこの伝統行事。現在、清崎の毘沙門堂百万遍念仏は設楽町の無形文化財に指定されており、「清崎みて歩き」の案内とともに、今も温かい祈りの情景を現代に伝え続けています。






参考文献
