豊川鉄道、鳳来寺鉄道、田口鉄道、三信鉄道の設立について
2026年8月29日
『鳳来町誌 田口鉄道史編』に基づき、「豊川鉄道の歩み」「三河3社・三信鉄道の設立」「名鉄傘下から国鉄化(飯田線)への流れ」をまとめました。
1. 豊川鉄道の設立と「中興の祖・倉田藤四郎」の経営改革
沿革と開通(明治時代)
- 明治29年(1896年): 設立。初代社長は横山孫一郎、本社は豊橋。
- 段階的開通: 豊橋(吉田)〜豊川〜三河一宮〜新城〜大海(後の長輝)へと延伸し、明治33年(1900年)に全線27.9kmが開業。
- 初期の経営危機: 開業当初は不況や乱脈経理により運輸収入を差し押さえられ、株式仕手戦の舞台となるなど経営はどん底(無配当)に陥る。
「倉田式経営」による復活(明治末期〜大正)
- 明治43年(1910年): 北越鉄道で手腕を振るった倉田藤四郎が支配人(のち専務)として着任。大株主・東京海上保険の末延道成会長のもとで経営再建へ。
- 再建の手法: 減資による不良資産の整理、針金一本・鶏の飼育にまで及ぶ徹底した節約、そしてストライキ(大正8年)に際して株式を分配した人心掌握などを展開。
- 中興の復活: 経営体質が劇的に改善して配当が復活(1〜2割)。増資を繰り返し、信州(飯田方面)への路線延伸へ向けた基盤を固めた。
2. 鳳来寺・田口・三信鉄道の設立と奥三河ネットワークの拡大
大正末期から昭和初期にかけ、豊川鉄道を中核として飯田・奥三河方面へ向かう「姉妹会社」が相次いで作られました。
| 会社名 | 設立・全通 | 主な特徴・出資関係 |
|---|---|---|
| 鳳来寺鉄道 | 大正10年(1921)設立 大正12年(1923)全通 | 大海〜三河川合(17.2km)。事実上、豊川鉄道の完全な姉妹会社(事務も同所)。大正14年に豊川鉄道とともに電化。 |
| 田口鉄道 | 昭和2年(1927)設立 昭和7年(1932)全通 | 鳳来寺口(本長篠)〜三河田口。豊川鉄道と宮内省(御料林材輸送目的)が主導して設立(宮内省が125万円出資)。 |
| 三信鉄道 | 昭和2年(1927)設立 昭和12年(1937)全通 | 三河川合〜天竜峡(66.9km)。愛知・静岡・長野の県境の断崖絶壁を貫く超難工事。豊川・鳳来寺・伊那電鉄・電力会社・地元などの官民合同事業(本社は東京)。 |
昭和12年(1937年)の三信鉄道全通により、明治28年(1895年)以来の地元・豊橋商業会議所の悲願であった「豊橋〜信州(辰野)を結ぶ直通鉄路」が42年越しに完成しました。
3. 倉田の追放、名鉄傘下への組み込み、そして国鉄「飯田線」へ
倉田藤四郎の失脚と社内紛争(昭和10年)
三信鉄道建設の資金調達(120万円の社債発行)をめぐり、倉田が金融畑の大株主へ事前相談しなかったことが「独断専行」と批判され、昭和10年(1935年)に倉田は豊川鉄道を追放されます。その後の派閥抗争や大規模な労働争議により、会社の経営基盤は再び揺らぎました。
名古屋鉄道(名鉄)の傘下(傍系)へ(昭和13〜15年)
混乱する豊川鉄道系に手を差し伸べたのが、愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併して誕生した名古屋鉄道(名鉄)でした。
- 昭和13〜15年: 名鉄が資本出資を行い、豊川鉄道・田口鉄道・鳳来寺鉄道の3社を「名鉄の傍系(子会社)」化。
- 名鉄社長・藍川清成が3社の社長に就任し、名鉄主導の経営体制(藍川・千田体制)が確立。
戦時買収と「田口鉄道の孤立」(昭和18年)
- 昭和18年(1943年)8月: 太平洋戦争下の国家統制により、幹部路線であった私鉄4社(豊川・鳳来寺・三信・伊那電気)が一括して国有化(戦時買収)され、日本最長の電化区間を誇る「国鉄 飯田線(192.3km)」が誕生。豊川鉄道47年の歴史が幕を閉じました。
- 田口鉄道の残存: 中部日本縦貫(本州縦断)の幹線ルートから外れていた田口鉄道だけが国有化から除外され、私鉄として孤立。これが戦後、田口鉄道が辿る苦難と豊橋鉄道への統合という歴史の伏線となりました。



参考文献
鳳来町誌 田口鉄道史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
鳳来町誌 歴史編 – 国立国会図書館デジタルコレクショ.
豊橋鉄道100年史 1924-2024.