田口鉄道第3期線:寒狭川の断崖を駆け抜けた三河田口への終着路

昭和6年(1931年)7月、第1期・第2期線の開通を経て、田口鉄道(のちの豊橋鉄道田口線)はいよいよ最終区間となる清崎〜三河田口間(4.5km)の第3期工事に着手します。

しかし、この最後の延伸区間は着工直前から波乱の連続でした。まず工事の請負業者が、それまでの杉本武平(渥美郡高豊村)から大手の清水組(現・清水建設)へと急遽変更されます。さらに、最大の火種となったのが「終点駅をどこに置くか」をめぐる激しい対立と係争でした。

地元の「街中への誘致」と、宮内省(御料林)の絶対条件

地元の田口町では、会社設立当初から「鉄道を町中心部(市街地)へ引き込んでほしい」という強い誘致運動が巻き起こっていました。

実際に検討された「第三期線線路の選定に関する件」という資料によると、当初の「寒狭川沿岸線」のほかに、高度を稼いで街へアプローチする「スイッチバック線」、そして「塩津迂回線」という計3つのルート案が提示されていました。その後も地元側は「終点駅を大久賀多(おおくがた)に設置し、そこから田口市街地への道路を新設する」という折衷案を宮内省へ提出するなど、最後まで諦めずに働きかけを続けました。

しかし、田口鉄道の設立背景には「山林経営と御料林材の搬出」という大目的があり、皇室財産を管理する宮内省からの多額の出資を受けていました。宮内省側の意向は「第一義的条件として、あくまで御料林材を効率よく運び出すための鉄道であるべきだ」という極めて厳格なものでした。

結果として宮内省の意向が優先され、地元商店街などの熱望は届かず、終点「三河田口駅」は市街地から遠く離れた山あいの「田尻」の地に設置されることが決定したのです。

建設費の枯渇と「中古レール」での切り抜け

こうしてルートが決定した第3期線は、昭和7年(1932年)11月に竣工し、同年12月22日に念願の全線開通(三河田口延び)を果たします。

しかし、第1期・第2期工事での過酷なトンネル掘削により、当初予算を大幅にオーバーしていた田口鉄道には、もはや潤沢な資金は残されていませんでした。そのため、第3期線の建設にあたっては、線路に「中古品(古レール)」を採用するなど、徹底した徹底的なコスト削減策が取られたと伝えられています。

断崖絶壁とトンネル群を抜けて終着駅へ

清崎駅を出発した電車は、わずか4.5kmの間に「塩津川橋梁」「第三寒狭川橋梁」「田内トンネル」「入道島第一トンネル」「第四寒狭川橋梁」「入道島第二トンネル」「入道島第三トンネル」「大久賀第一トンネル」「大久賀第二トンネル」「江ヶ沢橋梁」という、目くるめくトンネルと橋梁の連続区間を走り抜けました。

寒狭川の清流と荒々しい渓谷美のあいまを縫うように走り抜けた鉄路。その最奥部に佇む三河田口駅は、国策としての御料林輸送という重責と、地元住民の叶わなかった夢の両方を静かに飲み込みながら、奥三河の終着駅として歴史を刻み始めることになります。

参考文献
鳳来町誌 田口鉄道史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
鳳来町誌 歴史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
清水 武.2021.『豊橋 鉄道田口線 ―田口鉄道の残影―』.カルチュア・エンタテインメント株式会社.
愛知県教育委員会.平成17年.『愛知県の近代化遺産』.

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