長原前駅と清崎第3トンネル:清嶺中の生徒を乗せた新設駅

田峰駅を出発した田口鉄道(のちの豊橋鉄道田口線)の電車は、清崎までのわずか1.6kmの間に「第2寒狭川橋梁」「大木和田橋梁」「清崎第1トンネル」「西山橋梁」、そして「清崎第2トンネル」という目くるめく構造物を次々と通過していきました。

田口鉄道が誇る橋梁長上位の大部分が集中するこの地域は、蛇行する寒狭川(豊川)の断崖にへばりつくようにトンネルと橋梁が連なる、全線でも屈指の難工事区間でした。そうして、この凄絶な連続区間を抜け、滑り込むように到着したのが「長原前(ながらまえ)駅」です。

清嶺中学校の開校と、通学のために生まれた「長原前駅」

長原前駅は、滝上駅などと同様に戦後の昭和25年(1950年)10月に新設された比較的若い駅でした。(戦後に新設されたのは、ほかに滝上駅があります。滝上駅:インフレの嵐を生き抜く無人駅と鉄路の防衛策

この駅が生まれた最大の目的は「生徒の通学」でした。駅が開設される前年の昭和24年4月、駅跡のすぐ北側(現在のグループホーム「設楽の家」の敷地)に「清嶺中学校」が開校。寒狭川沿いの集落から通う中学生たちの足として、地元からの強い要望によって誕生したホームでした。

長原前駅の当時の写真『鳳来町誌 田口鉄道史編』

「清崎第3トンネル」と、テレビで話題となった不思議な「壁」

長原前駅を出ると、電車はすぐに全長190.80mの「清崎第3トンネル」へと入っていきました。そして、このトンネルを抜ければ、第2期線(三河海老〜清崎間、6.5km)の終点であり、第3期線への起点となる「清崎駅」は目と鼻の先でした。

この「清崎第3トンネル」を一躍有名にしたのが、CBCテレビの人気番組『道との遭遇』です。

文献(『愛知県の近代化遺産』など)には「廃線後に拡幅され、国道257号線の『清嶺トンネル』となった」と記述されることもありますが、しかし現在の実態は少し異なります。国道トンネルの建設時、旧鉄道トンネルをそのまま広げたのではなく、清嶺トンネルの入口西側(新清嶺橋側)に対し、清崎第3トンネルが斜めに刺さるような「T字状」に交差して行き止まりになっているのです。(まるで神殿!?100年前の鉄道橋脚も 愛知「豊橋鉄道田口線」の廃線跡を巡る旅! | CBC MAGAZINE(CBCマガジン)

そしてトンネルの奥へ進むと、本来なら山の中に埋もれて決して見ることができない「新しく掘られた清嶺トンネルのコンクリート外壁」が目の前に立ち塞がるという、全国的にも極めて珍しい奇観が広がっています。

封印された遺構と、刻まれた記憶

しかし現在、清崎第3トンネルの入口は半分ほど塞がれ、「立ち入り禁止」の措置が取られています。

中学生たちの歓声が響いた長原前駅のホーム跡、そして新旧の道路・鉄道技術が内部で交差したまま静かに眠る清崎第3トンネル――。そこには、奥三河の暮らしを支えた鉄路の記憶と、さらに廃線後のモータリゼーション(道路整備)の歴史が、複雑に絡み合った形で今も残されています。

参考文献
鳳来町誌 田口鉄道史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
鳳来町誌 歴史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション
「設楽清崎方面」空から見た東三河 : 愛知県航空写真集 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
愛知県教育委員会.平成17年.『愛知県の近代化遺産』.

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