三河大石駅:大石の由来と人々の喜びを伝える停留所の跡
玖老勢(くろぜ)駅を出発した田口鉄道の電車は、海老川のせせらぎに沿うように北上し、1.6kmほどで「三河大石(みかわおおいし)駅」へと到着しました。
この駅は、計画当初は集落名である「副川(そえかわ)」を駅名にする予定でした。明治初期の調査において89戸・440人が暮らしていたという副川村の大石地区。地名の由来となった巨大な松脂岩(しょうしがん)が、今も県道沿いに鎮座しています。
鉄道のために半分を削られた「大石」と、駅名の誕生
実はこの巨大な岩は、田口鉄道の線路敷設予定地に重なっていました。そのため、建設時に西側の約半分が掘削除去されました。つまり、当時はこの2倍以上の圧倒的な大きさを誇っていたことになります。そして、駅名はこの「大石」にちなんだ小字名を採用し、最終的に「三河大石駅」と名付けられました。
大石駅は、線路脇にホームと待合所だけがポツンと佇む「停留所」と呼ばれる無人駅でした。田口鉄道に存在した12の駅のうち、三河大草、三河大石、滝上、長原前、鮎淵の5つの駅が、こうした無人の停留所として運営されていました。
バス停に残る面影と、喜びを今に伝える石の道標
現在は、県道32号線の「鳳来大石」バス停がある場所に駅があったと伝えられています。当時の古い写真を眺めると、現在のバス停の待合所はどこか当時の停留所と雰囲気が重なり、面影を感じさせます。
また、バス停近くの伊那街道沿いには、銘石「くろぜ石」で作られたと思われる古い道標が残されており、そこには「大石停留所道」と刻まれています。
田口鉄道における無人停留所の多くは、地域の発展に合わせて後年から追加されたもの(後年新設)がほとんどでした。しかし、この三河大石だけは計画当初から開設が決まっていました。
村のシンボルであった「大石」を半分削ってまで鉄路を迎え入れ、さらに立派な道標を建てて電車の開通を心から歓迎した当時の人々の喜びや熱気が、今もこの静かな道路沿いのそこいらから伝わってくるようです。




参考文献
鳳来町誌 田口鉄道史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
鳳来町誌 歴史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
清水 武.2021.『豊橋鉄道田口線 ―田口鉄道の残影―』.カルチュア・エンタテインメント株式会社.
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