田口鉄道と豪雨の闘い:峰トンネル、暗闇が繋ぐ鉄路

三河大草駅を出発した列車は、大草トンネル富保トンネルを相次いで潜り抜け、築堤の上を渡りながら次なる「峰トンネル」へと滑り込みます。鉄路はさらに峰第2、第3、第4トンネルと連続して続き、次の鳳来寺駅を目指しました。

田口鉄道は、起点の鳳来寺口駅(現・本長篠駅)から鳳来寺駅までのわずか4.8kmの間に、実にあわせて8つものトンネル(内金、大草、富保、峰、峰第2、峰第3、峰第4、万寿)が密集していました。そして、これらを2つの橋梁と3つの築堤が数珠つなぎに連結する、極めて過酷なルートだったのです。

山頭火が詠んだ「木の芽の雨」の情景

この険しい道のりを旅した漂泊の俳人・種田山頭火は、鳳来寺を訪れた際、まさにこの路線の特徴を象徴するような句を遺しています。

「トンネルいくつおりたところが木の芽の雨」

何度も何度もトンネルを潜り抜け、ようやく外へ出たかと思えば、そこには春を告げる「木の芽の雨(木の芽の成長を促すような春雨)」がしとしとと降っている――。この句には、この路線が山肌を縫うようにトンネルを連続させていた地理的特徴と、奥三河特有の雨の情景が、山頭火らしい感性で鮮やかに切り取られています。

毎年のように鉄路を襲った「雨」との闘い

山頭火を包んだ風情ある「木の芽の雨」も、鉄道会社にとっては死活問題でした。『鳳来町誌』が「厳しい自然地理条件にさらされ」と指摘する通り、この地での開業は、自然災害、とりわけ「激しい雨」との果てしない闘いの歴史でもありました。

田口鉄道と豪雨:自然災害・運行障害の記録(昭和4年〜昭和19年)

発生時期被害のあった区間・場所災害の原因と主な被害状況運行への影響
昭和4年(1929年)
7月3日
三河海老 〜 滝上 間豪雨のため、路盤が崩壊。運行への影響あり
昭和5年(1930年)
3月30日
鳳来寺 〜 玖老勢 間
(起点から約6km付近)
豪雨のため、線路沿いの山腹が崩壊。4月3日復旧
昭和5年(1930年)
8月1日
鳳来寺 〜 三河大草 間豪雨のため、切り通し(切取箇所)の斜面が線路上に崩落。8月5日復旧
昭和7年(1932年)
9月11日
三河海老 〜 田峰 間豪雨のため、進行左側の切り通し斜面から土砂が崩壊。9月15日に運転再開
昭和10年(1935年)
6月28日
清崎 〜 三河田口 間
(三河田口駅の直前)
豪雨のため、進行右側の切り通し面が崩落し線路が完全に埋没。同区間が25日間にわたり運休
昭和12年(1937年)
7月15日
吉村バンク(築堤)ほか豪雨のため、吉村バンク周辺をはじめ各所が大被害を受ける。一部区間が不通
昭和19年(1944年)
9月初旬
三河田口駅・田峰駅水害により周辺道路や輸送網が被災。木材などの貨物搬入が激減
田口鉄道と豪雨 自然災害・運行障害の記録『鳳来町誌 田口鉄道史編』より作成

自然に還る鉄路と、高い土木技術の記憶

森を育てる恵みの雨は、時として牙を剥き、人間が必死に切り拓いた線路を何度も容赦なく襲いました。しかし、列車が走らなくなって半世紀以上が過ぎた今もなお、頑強に造られたトンネルや石積みの橋脚は崩れることなく、当時の姿のまま深い緑の中に静かに残されています。

山頭火が句に託した春の雨も、過去を振り返れば幾多の災害を呼び込んだ脅威の記憶へと繋がります。それでもなお、当時の高い土木技術で築かれた遺構たちは、自然の脅威に真っ向から挑み続けた先人たちの、決して色褪せない熱き軌跡を現代に伝えています。

峰トンネルから峰第2トンネル

参考文献
鳳来町誌 田口鉄道史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
鳳来町誌 歴史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
清水 武.2021.『豊橋鉄道田口線 ―田口鉄道の残影―』.カルチュア・エンタテインメント株式会社. 

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