大草トンネル:密林の遺跡のごとく佇む田口鉄道のトンネル群

苔むしたホーム跡が現存する三河大草駅を出発すると、列車はすぐに深い闇へと吸い込まれていきました。それが「大草トンネル」です。旧田口鉄道は、全長22.6kmという路線の実に20%近く(総延長4,107m)を24箇所ものトンネルが占めるという、まさに険しい山肌をくり抜いて造られた鉄路でした。

予算を大幅に圧迫した「トンネルとの戦い」

当初、田口鉄道の総工費は300万円として計画されており、そしてそのうちの25%にあたる76万円がトンネルの建設費(隧道費)として見込まれていました。

しかし、鳳来寺の門前を通すための起点変更やルートの見直し、そして想像を超える山の険しさが立ちはだかります。昭和6年(1931年)の記録によると、トンネルの建設費は当初の予想からさらに32万円も増加しました。田口鉄道の歴史は、まさに「トンネルとの戦い」から始まったのです。

難所ゆえの宿命。維持費の増大と廃線への道

この時に乗り越えたトンネルや橋の多さは、開通から数十年の時を経て、今度は「老朽化」という大きな試練となって会社にのしかかりました。そして山間の厳しい環境下での維持管理や、度重なる改良工事に要する莫大な経費は経営をじわじわと圧迫し、のちに田口線が廃止へと向かう決定的な要因の一つとなったのです。

緑に埋もれ、静かに眠る奥三河の遺構群

大草トンネルを皮切りに、富保(とみやす)トンネル、そして峰(みね)第一から第四トンネルへと、列車は大井川沿いの山々を潜り抜けて走っていました。

そして、鉄道としての役目を終えてから長い歳月が流れた今、主を失ったトンネルたちは、まるでカンボジアのジャングルに眠る「アンコールの密林の遺跡」のように、奥三河の深い緑のなかにただ静かに佇んでいます。

かつて大金を投じ、そして人の手で拓かれた栄華の跡が、ゆっくりと自然へと還っていくような、息をのむほど美しい無常観がそこには漂っています。

参考文献
鳳来町誌 田口鉄道史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
鳳来町誌 歴史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
清水 武.2021.『豊橋鉄道田口線 ―田口鉄道の残影―』.カルチュア・エンタテインメント株式会社.

本長篠駅内金トンネル大井川橋梁三河大草駅 → 大草トンネル → 富保トンネル

田口鉄道を旅するマップ

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