三河大草駅:ホーム跡と数字で紐解く昭和初期の田口鉄道

鳳来寺口駅(現・本長篠駅)を出発した田口鉄道(後の豊橋鉄道田口線)は、山肌を進み、わずか2.6kmで最初の停車駅「三河大草駅」へと到着します。昭和4年(1929年)5月22日の第1期線開業時にはまだこの駅はなく、翌年の昭和5年(1930年)4月13日に新設されました。全線開業した時点での駅数は、起点から終点の三河田口駅までを合わせて9駅を数えました。

「うどん1杯」との比較で見えてくる、ちょっと贅沢な運賃

昭和13年(1938年)から17年ごろの時刻表によると、鳳来寺口駅からの運賃と最短所要時間は以下の通りでした。

  • 鳳来寺まで(4.8km):12銭(約8分)
  • 田峰まで(18.1km):39銭(約30分)
  • 三河田口まで(22.6km):57銭(約43分)

当時のかけうどん1杯が10銭〜15銭だったことを考えると、終点までの運賃「57銭」はうどん約4杯分に相当します。現代の感覚に直すと片道1,700円〜1,800円ほどになり、決して誰もが気軽に日常使いできる移動手段ではなかったことがうかがえます。

「朝が早く、夜が早い」農村の暮らしを写したダイヤ

昭和13年当時の運行ダイヤを見ると、本数は上下線ともに1日10本ほどでした。 三河田口発(上り)の始発は5時56分で最終が17時56分。鳳来寺口発(下り)の始発は7時12分で最終が17時12分(※ほかに夜間の不定期便が1往復あり)。

この現代よりもずいぶん早い終電設定について、『鳳来町史 田口鉄道史編』では「今日の感覚からすれば理解に苦しむところであるが、当時の農村社会の活動スタイル−朝が早く夜も早い−を反映したものである」と解説されています。人々の生活リズムそのものが、そのまま線路の時刻表になっていたのです。

多くの乗客を運んだ軌跡と、いま人気の遺構

運賃が割高だったとはいえ、山間部の貴重な足であった田口鉄道は多くの乗客に利用されました。旅客実績を見ると、開業初年度(昭和4年)の乗客数は105,074人(運賃収入15,759円)でしたが、三河大草駅などが開業した翌昭和5年には169,783人(運賃収入30,838円)へと大きく跳ね上がっています。

それから長い歳月が流れ、路線が廃止された今、緑に包まれた「三河大草駅」跡には当時のプラットホームが奇跡的に現存しています。歴史の面影をそのままに留めるノスタルジックな風景は、現在では多くの鉄道ファンや廃線跡巡りの人々が訪れる人気のスポットとなっています。

田口鉄道 駅名・開設年月日一覧(起点〜終点順)

駅順駅名開設年月日駅の種類 / 特記事項
1鳳来寺口昭和4年(1929年)5月22日起点駅
2三河大草昭和5年(1930年)4月13日停留所(無人)
3鳳来寺昭和4年(1929年)5月22日○ 上下線電車の交換可能駅
4玖老勢(くろぜ)昭和4年(1929年)5月22日○ 上下線電車の交換可能駅
5三河大石昭和4年(1929年)5月22日停留所(無人)
6三河海老昭和4年(1929年)5月22日○ 上下線電車の交換可能駅
7滝上昭和24年(1949年)8月3日停留所(無人)※後年新設
8田峯(だみね)昭和5年(1930年)12月10日○ 上下線電車の交換可能駅
9長原前昭和25年(1950年)10月1日停留所(無人)※後年新設
10清崎昭和5年(1930年)12月10日○ 上下線電車の交換可能駅
11鮎淵昭和24年(1949年)8月3日停留所(無人)※後年新設・夏期のみ営業
12三河田口昭和7年(1932年)12月22日終点駅

【凡例】
・○印:上下線電車の交換(行き違い)が可能な駅
・無印:途中の無人の停留所
『鳳来町誌 田口鉄道史編』より作成

当時の三河大草駅の画像

三河大草駅跡

参考文献
鳳来町誌 田口鉄道史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
鳳来町誌 歴史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
清水 武.2021.『豊橋鉄道田口線 ―田口鉄道の残影―』.カルチュア・エンタテインメント株式会社.

本長篠駅内金トンネル大井川橋梁 → 三河大草駅 → 大草トンネル

田口鉄道を旅するマップ

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