大井川橋梁:田口線の遺構とルート選定の裏舞台

本長篠駅を出発し、「内金トンネル」を抜けて230mほど進むと県道32号線(長篠東栄線)に交差します。そこからさらに200mほど北上すると、県道をまたぎ、大井川を渡るようにしてそびえ立つ見事な石積みの建造物が目に飛び込んできます。これが、田口鉄道「大井川橋梁」の橋脚跡です。

紀行作家・宮脇俊三氏の名著『鉄道廃線跡を歩く』のなかで大井川橋梁跡は「県道をオーバークロスする部分では、一本の高い石積みの橋脚が天に向かってのびている」と描写されています。昭和43年(1968年)の廃線から60年近くが経った今もなお、まるで意志を持った生き物のように「のびている」そんな存在感を放ち、訪れる者を迎えてくれます。

1キロに1つのトンネルと橋。数字が物語る過酷な難工事

田口鉄道は、全長22.6kmのなかに24箇所のトンネル(総延長4,107m)と、そして17箇所の橋梁(総延長503m)を抱えていました。計算すると、わずか1kmの間にトンネルと橋がそれぞれ1つずつ現れるという、驚くほどの高密度です。

この数字からも、いかに険しい山肌を切り拓く難工事であったかが容易にうかがえます。そして、この過酷な地理的条件が建設費を大きく押し上げました。その結果として皇室の「御料林」を管理する宮内省の援助を仰ぐ最大の理由となりました。

命運を分けた3つのルート案と、鳳来寺がもたらした資金

計画当時、田口から玖老勢(くろぜ)へと至るルートには、以下の3つの候補案が存在していました。

  1. 大海案:大海駅から寒狭川(かんさがわ)に沿って玖老勢へ向かうルート。
  2. 鳳来寺口案:鳳来寺口駅から大草、門谷を経て玖老勢へ向かうルート。
  3. 三河大野案:三河大野駅から東門谷、西門谷を経て玖老勢へ向かうルート。

当初は地形の平坦さ、トンネルの少なさ、距離の短さ、そして総工費の安さから「第1案(大海案)」が極めて有力視されていました。しかし最終的には、名刹・鳳来寺の門前を通すことで観光需要を見込み、さらに「鳳来寺鉄道」や「鳳来寺」からの資金援助を引き出すために「第2案(鳳来寺口案)」へと大逆転で決定したのです。

最終的な総株数60,000株のうち、筆頭株主の宮内省(25,000株)をはじめ、豊川鉄道(15,000株)、鳳来寺鉄道(4,000株)、鳳来寺(2,500株)が名を連ね、そしてこの4者だけで全体の77.5%にのぼる強固な経営基盤が作られました。

難工事を驚異的なスピードで駆け抜けた第1期工事

こうして資金とルートが確定し、昭和3年(1928年)3月に鳳来寺口駅(現・本長篠駅)〜三河海老間(11.6km)の第1期工事が幕を開けました。数々のトンネルやこの大井川橋梁を建設する過酷な難工事であったにもかかわらず、工事は驚異的なスピードで進み、そして翌年である昭和4年(1929年)5月には早くも開通を迎えることとなります。

今も県道沿いにそびえる大井川橋梁の石積み橋脚は、当時の職人たちの意地と、奥三河に鉄路を敷こうとした先人たちの熱い情熱を現代に伝える、貴重な歴史の証人です。

参考文献
鳳来町誌 田口鉄道史編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
清水 武.2021.『豊橋鉄道田口線 ―田口鉄道の残影―』.カルチュア・エンタテインメント株式会社.
宮脇 俊三.1995.『鉄道廃線跡を歩く』.日本交通公社.

本長篠駅内金トンネル → 大井川橋梁 → 三河大草駅大草トンネル → 富保トンネル

田口鉄道を旅するマップ

「新城市地域自治区の区域」広報しんしろ2013.3特集号

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