三谷温泉ロープウェイ:煌めいた昭和の観光ブームと空中散歩

国定公園の誕生と、弘法山・乃木山を繋いだ新名所の幕開け

蒲郡市三谷町に広がる三谷温泉郷。その街並みを見下ろす弘法山(南山)と乃木山を結んでいた空中ロープウェイは、昭和32年(1957年)に完成し、翌33年4月に「やっと開通にまでコギつけた」と伝えられています。 昭和29年(1954年)に温泉が発見されて以来、地域は急速な発展を遂げていきました。市有地を貸し出して旅館や飲食店の誘致を進め、大衆浴場を開業したことで温泉郷としての骨格が完成。さらに、同じ昭和31年には竹島水族館が開館します。また、昭和33年には一帯が「三河湾国定公園」に指定されます。その華々しい観光ブームの波に乗るようにして、二つの山を空中散歩で結ぶ「新名所ロープウェイ」は運行を開始したのです。

バンビセンターにプラネタリウム――伊勢湾台風を乗り越えた施設拡張の熱気

開通当初は大きな赤字を出したものの、温泉郷の勢いは止まりませんでした。昭和34年(1959年)には、三河大島で放し飼いにされていた鹿を弘法山へと移し、そして遊具を備えた「バンビセンター(弘法山遊園地)」を整備。さらに乃木山には、市の援助を受けて旅館組合がプラネタリウムを建設しました。

同年、超大型の伊勢湾台風が三河地方を襲い、温泉街も大きな被害を受けます。しかし、当時の旅館の記録には「施設を作ればお客が来るという時代で、どうせ銀行からお金を借りるのならと、どこでも施設の拡張をした」と、当時の凄まじい熱気が残されています。翌昭和35年には旅館数が38軒にまで急増し、街は華やかな歓楽の灯りに包まれました。

蒲郡の観光開発 年表
蒲郡の観光開発 年表(昭和26年〜昭和38年)『蒲郡市三十年史』より作成

天章師が説いた「奥行き」の必要性と、15年後に訪れた幕引き

しかし、この華やかなロープウェイの裏側には、建設当初から「すったもんだのお家騒動」があり、「だいぶ高いものをつかまされた」という苦い内情もありました。

開通後1年余りで40万人もの乗客を乗せ、一見賑わっているように見えたものの、伊藤天章師は『蒲郡風土記』の中で、さらなる収益化への課題を鋭く指摘しています。天章師は、ただ二つの山を結ぶだけでなく「砥神山から御堂山への道を開いて観光の奥行きを持たせ、客層の幅を広げることが大切だ」と説き、「みんなそのつもりで乗るようにしたらよい」と、郷土の発展を願う言葉で章を締め括りました。

しかし、その願いも虚しく、時代の変化とともに客足は遠のいていきます。ロープウェイは昭和46年(1971年)に名鉄へと無償譲渡され、昭和50年(1975年)にその歴史に幕を閉じました。天章師が熱く未来を案じてから、わずか15年後のことでした。

現在、ロープウェイが往来した三谷の空には、当時と変わらない穏やかな三河湾の潮風だけが吹き抜けています。

昭和の歓楽を静かに見守り続ける、蒲郡市・形原温泉の「女神像」

参考文献とロープウェイの画像

伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.
「観光地の形成」蒲郡市三十年史 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
愛知年鑑 1960 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
「広報写真で見る蒲郡市の50年」広報がまごおり2003年5月15日号.

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