愛知県水産試験場:三河湾の水産イノベーションを担った「元締」
蒲郡市三谷町若宮に位置する愛知県水産試験場。史誌において「三谷水産試験場」としても親しまれるこの施設は、明治27年(1894年)に幡豆郡一色村でその産声を上げました。
一色から篠島、そして三谷へ――数多の試行錯誤が紡いだ水産業の夜明け
当初は牡蠣(カキ)や灰介(ハイガイ)、海鼠(ナマコ)の養殖のほか、伝統の「サメの干物」やイワシのしめ粕といった農業用肥料にいたるまで、驚くほど幅広い試験を実施。翌年には高級食材である鼈(スッポン)や鯉(コイ)、さらにウナギの養殖にも挑戦。さらに日露戦争時には軍用のイワシ味付缶詰を供給するなど、時代の要請に応え続けました。
しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。業績が伸び悩み、明治33年(1900年)には知多半島の篠島へ移転。そして、大正12年(1923年)には一度廃場に追い込まれるという苦難に見舞われます。
名物「えび煎・海苔」の大量生産を支えた、三谷の人々の熱意と誘致運動
この危機に立ち上がったのが、三谷の先人たちでした。伊藤天章師著『蒲郡風土記』によると、廃場を惜しんだ地元の人々が「敷地も建物も全部寄付するから、三谷へ持ってきてほしい。」と誘致運動を展開。その熱意が実を結び、大正14年(1925年)1月、三谷町の八剣神社前に「三谷出張所」として見事な移転を果たしたのです。
開設当初の製造工場は46坪ほどの小さなものでした。しかし、ここで開発・導入された機械化技術が、のちに蒲郡の特産品となる「えび煎」や「焼き海苔」「味付け海苔」の大量生産を可能にしました。戦前にはアメリカから大量の注文が舞い込むほどの活況を呈したといいます。
昭和10年(1935年)には新庁舎の建設とともに本場へと昇格し、翌年には名実ともに愛知県水産試験場として、文字通り三河の水産の「元締」へと成長を遂げました。
学び舎の創設から現在地へ――伝統を受け継ぎ未来へ泳ぎ続ける海の街
水産試験場の躍進は、地域の人材育成への情熱にも火をつけました。同時期に熱心な学校設立運動が起こります。そして、昭和18年(1943年)、愛知県内唯一の県立水産専門教育機関として愛知県立三谷水産学校が創設されます。これが現在の愛知県立県立三谷水産高等学校であり、今も多くの若者が海の豊かさを学んでいます。
その後、昭和37年(1962年)頃に三谷町東前地区の海岸造成が完了したことを受け、水産試験場は昭和38年(1963年)に現在の若宮の地へと移転しました。
一色での小さな試行錯誤から始まり、篠島を経て三谷へと繋がった水産研究のバトン。そして、先人たちが私財を投げ打ってまで守り抜いた海の知恵と情熱は、打ち寄せる三河湾の波の音とともに、今もこの街に深く息づいています。




参考文献
伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.
愛知県水産試験場業務要覧 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
今昔之三谷 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
「埋立土地造成計画図」広報がまごおり昭和36年5月号.
