歴史を繋ぐお伝馬街道、色恋の伝説が息づく「国坂峠」への道行

 愛知県蒲郡の地名は、明治時代に蒲形村西之郡(にしのこおり)村が合併したことで誕生しました。古くは『蒲郡史談』に「宝飯郡の西の方だというわけで西の郡と呼ばれておりました」とあるように、一帯を指す広域の呼称でもありました。この歴史ある地から、東海道の宿場町へと続く古い街道が「お伝馬(おてんま)街道」です。

昭和35年発行の『蒲郡風土記』の「国坂峠お伝馬街道」を紐解くと、そこには活き活きとした街の誕生秘話と、峠へと向かう旅人たちの哀歓豊かな道行が描かれています。

西郡松平家陣屋跡:都市の骨格を築き、蒲郡へ

紛糾の末に生まれた地名と、落語さながらの賑やかな道行

明治の合併の際、「蒲郡」の名が定まるまでには相当な議論の紆余曲折があったといいます。同書によると、もめ抜いた挙句に当時の宝飯郡長・竹本元儤氏によってようやく名付けられました。

そんな西の郡の町を東へ離れ、国坂峠(くにさかとうげ)を目指す旅の風情を、同書はまるで落語の『黄金餅』を思わせる軽妙な筆致で写し出しています。

「今の坂本屋支店角に建っていた高札を左に眺めて、南へ廻って竹島遥拝所前から、東へ進んで赤日子遥拝所の前を通り、一丁程東から北へ折れて畑中をすぎ千日寺前に出る。千日寺東から、平田への旧街道を、屋根伝いに五井へ出て、観音様の道しるべの右ごゆ道、左山道を読んで、さて、いよいよそこからが国坂である」

景色を追いかけながら、旅人たちは一歩一歩、峠の坂道へと足を勧めていきました。

赤坂女郎の悲恋が眠る「若池」と、旅人を見守る「等身大の石地蔵」

いよいよ始まった国坂の登り坂。地図をのぞくと、その途中の右手に差し掛かると小さな池。これが「若池(わかいけ)」と呼ばれる池だと推測できます。この池には、かつて赤坂宿の遊女(赤坂女郎)が店を足抜けし、愛する男のもとへ走る途中、ここで追手に追い詰められて身を投げたという切ない伝説があります。

悲恋の記憶が漂う坂道ですが、近くには旅人の心を癒やす「等身大の石地蔵」が佇んでいます。これが「五井源」という屋号の家が、小布を集めて作った袋物を水竹乙姫神社の縁日で売り歩き、築いた財で建立した、といわれる石仏だと思われます。旅の安全を願い、国坂、星越坂野の3ヶ所に同じ地蔵を奉納したと伝えられ、そして今も街道を見守っています。

里謡に唄われた難所、旅僧の足跡と「女郎買い道」の活気

さらに峠道を登り詰めると、「行仏沢」と呼ばれる場所に辿り着いたといわれます。昔、この沢に一人の旅僧が住み着いていました。そして、窯を築いては焼き物を焼いて売り歩いて暮らしていました。その僧の名が「行仏」であったことが、この沢の名前の由来になったと記されています。

かつてこの地域には「一に国坂、二に灰野、三に笹山おどり山」という里謡が残されていました。国坂峠は周辺でも指折りの険しい難所として知られていたのです。しかし、峠を越えた先には御油宿赤坂宿といった華やかな宿場町が待っていました。

夜な夜なこの峠を越えて遊びに出かけたことから、親しみを込めて「女郎買い道」とも呼ばれたお伝馬街道。そこには、難所を越えてでも向かいたかった、往時の人々の人間味あふれる活気とエネルギーが満ち満ちています。

仲仙寺奥の院・峠の観音様 – 豊川の旅.
十一面観音堂(御瀧観世音) – 豊川の旅.
静里村沿革碑:三つの村が紡いだ絆の記憶 – 蒲郡の旅.

参考文献
伊藤天章.昭和51年.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.
五井町文化財調査委員会編.2023.『五井の歩き方』.三恵社.
蒲郡史談 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
蒲郡市誌 本編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.

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