奉納弁財天社の手水鉢:竹島に佇む島最古の記念物

蒲郡の象徴として名高い竹島の弁天様。この神域が「八百富神」という神号を賜ったのは、江戸時代の享保20年(1735年)のことです。その後、明治維新期の廃仏毀釈・神仏分離政策によって「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」をご祭神とすることになった歴史が、『蒲郡風土記』に書き残されています。

竹島弁財天は享保20年以来、社僧(仏教のお坊さん)の介入を許されなかったため、酒井大膳の子孫がその神聖な社を守護し続け、激動の明治維新を迎えました。著者の伊藤天章師は「八百富神だの、市杵島姫だのと言っても、人々はみな『ああ、弁天様ですか』と言う。」と綴り、時代や名が変われど色褪せることのない、その信仰の不朽さを伝えています。

島の激動を見つめてきた「享保二年」の刻印

現在、八百富神社の社務所の前には、「奉献上 水盤 竹島弁財天社」と深く刻まれた古い手水鉢(水盤)が静かに佇んでいます。

この手水鉢は、松平主水の家臣である歌見忠右衛門によって寄進されたものです。表面には「享保二年」の文字が残されています。これは先述した「八百富神」の神号を賜るよりも、さらに18年も前のこと。天章師はこの奉納手水鉢こそが「島に現存する最古の記念物」であると、その歴史的価値を強調しています。

空気に溶け込む最古の遺構と、天章師の守った情熱

この貴重な手水鉢ですが、実はかつて失われる危機のなかにありました。境内の整備計画が持ち上がった際、この古びた水盤を「島外へ搬出しよう」という話が進んでいたのです。

これに対して天章師は猛烈に反対。「強く言って、社務所の前へコンクリートで取付けた」という執念の逸話が残されています。先駆者の強い情熱があったからこそ、境内に留まることができました。

現在の境内には、立派な「水吐龍」の手水鉢が別に鎮座しています。そして、多くの参拝客がそちらを写真に収めています。一方で、約300年前の激動を見つめてきた最古の水盤は、社務所の前で静かに蓋をされたまま、まるで境内の空気そのものであるかのように、風景の一部としてひっそりと佇んでいます。きらびやかな社殿の陰で、歴史の底流を支え続ける石鉢の姿は、今日も竹島の深い歴史を無言で語りかけているようです。

八百富神社 – 竹島弁財天の由来
竹島弁天に伝わる幻の「神酒石」と金明竹の数奇な物語

参考文献
伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.
神社を中心としたる宝飯郡史 – 国立国会図書館デジタルコレクション.

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