竹島弁天に伝わる幻の「神酒石」と金明竹の数奇な物語
「蒲郡は竹島によって象徴化されている」「従って蒲郡を語るものは竹島を言わねばならぬ」――。そんな印象的な一文で始まる『蒲郡風土記』の「竹島弁天の神酒石」の章には、かつて竹島が「二竹山(にちくざん)」と呼ばれていた時代の、神秘的な伝承が記されています。
竹生島から根こそぎ移された竹と、消えた「神酒石」の謎
小田哮雲が著した「竹島縁起」によると、その昔、近江国(滋賀県)の琵琶湖に浮かぶ竹生島の竹を根こそぎ掘り起こしてこの島へと移植し、それを御神体として弁才天をお迎えしたのが竹島の始まりとされています。この由緒こそが、島が「二竹山」と呼ばれた理由です。
さらに、その移し植えられた竹の前には平らな石が据えられ、「神酒石(みきいし)」と呼ばれていました。お祭りの際にはその石の上にお神酒が供えられ、神聖な儀式が執り行われていたといいます。しかし、その貴重な石や竹は「どうしたことか、いつの間にかなくなってしまった」と、のちの時代に伝えられてきました。
文献では「金明竹」に姿を変えたとされたその竹ですが、実は現在の八百富神社の社殿左脇に、堅牢な石玉垣に守られた「元竹」として、いまも静かに鎮座しています。その正体は10株ほどの高貴な「スホウチク(蘇芳竹)」。
さらに驚くべきことに、その玉垣の前には、上部が平らに切り出されたキューブ状の巨石が置かれているのです。これこそが、文献から消えたはずの「神酒石」の往時の姿ではないでしょうか。
なお、現在は八大龍神社の周辺にも青々とした「ホテイチク」の竹林が広がっており、島に根づいた竹の歴史の奥深さを物語っています。
明治の神仏分離がもたらした、社殿の「身売り」という数奇な運命
八百富神社の旧社殿にも、時代の荒波を乗り越えてきた意外な歴史が隠されています。この旧社殿は、もともと天桂院にあった天神社の拝殿でした。
しかし、明治維新期の峻烈な神仏分離政策の際、「寺の境内に天神様の拝殿があるのはけしからん」と咎められることになります。その結果、行き場を失った拝殿は、竹島の弁天様へ「たしか一両二分で身売りされた」という、どこか人間味あふれる切ない逸話が書き残されているのです。
『蒲郡風土記』の中で一度は「失われた」と嘆かれた神酒石や、姿を変えた竹の伝承。それらは今、巡り巡って境内の片隅にひっそりと、しかし確かな存在感をもって鎮座しています。現代を生きる参拝客の多くは、そんな数奇な歴史の悪戯に気づくこともありません。それでも今日も、変わらぬ美しい島影と、おだやかな三河湾の情景に心を震わせながら、この神秘に満ちた神域を豊かに息づかせています。






八百富神社 – 竹島弁財天の由来
奉納弁財天社の手水鉢:竹島に佇む島最古の記念物
参考文献
伊藤天章.『蒲郡風土記』.蒲郡新聞社.昭和51年.
神社を中心としたる宝飯郡史 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
森林総合研究所 関西支所/スホウチク.