豊橋航空隊の記憶を宿す「誉」、銀河のエンジンが語る終戦の悲劇

愛知県田原市野田町の田原市ふるさと教育センター(旧野田小学校)。その一角に、かつての激戦の記憶を今に伝える、ある貴重な航空機部品が静かに佇んでいます。

それは、太平洋戦争後半に日本海軍が開発・運用した双発陸上爆撃機「銀河(ぎんが)」のエンジンです。かつて渥美半島の海に沈み、昭和の時代に奇跡的に引き揚げられた「幻の名発動機」の足跡を紐解きます。

日本の命運を背負った2,000馬力級エンジン「誉」

爆撃機「銀河」には、中島飛行機が当時の最先端技術を結集して開発した「誉(ほまれ)」(空冷複列星型18気筒)というエンジンが2基搭載されていました。この「誉」は、当時の日本の工業水準の限界に挑んだ超精密・高性能エンジンでした。そして、海軍の局地戦闘機「紫電改」や、陸軍の四式戦闘機「疾風(ハ45)」にも採用。まさに国策としての「統一標準エンジン」でした。

戦時中の物資不足や燃料の質の悪化により、現場での稼働率低下やトラブルに悩まされながらも、万全な状態の「銀河」は最高速度 566 km/h という驚異的な快速をマーク。アメリカ軍の夜間戦闘機すら振り切るほどのポテンシャルを誇りました。

豊橋海軍航空隊と、仁崎沖への墜落

戦時中、現在の豊橋市明海町・大崎町周辺には、広大な「豊橋海軍航空隊(大崎飛行場)」が存在していました。この基地は「銀河」を主力機として運用する最前線の訓練・出撃拠点でした。

防衛省防衛研究所の資料によると、昭和18年(1943年)6月10日、大崎飛行場を離陸した1機の「銀河」が、機体に故障が生じ、仁崎海岸付近の海へと墜落しました。機体は若い搭乗員2名の命とともに、深い海の底へと沈んでいきました。

28年の時を経て、漁師の網が引き揚げた「形見」

それから28年が経過した1973年(昭和48年)。仁崎海岸の姫島漁港沖約1キロ、水深10メートルの海底で、地元の漁師さんの網に大きな塊が引っかかりました。引き揚げられたそれこそが、28年前に失われた「銀河」のエンジン「誉十二型」だったのです。

現在、爆撃機「銀河」の機体そのものは、アメリカのスミソニアン航空宇宙博物館に未復元の状態で1機が保管されているのみです。日本国内には航空機としての姿は残されていません。

豊橋の空を飛び、渥美の海に散った若い命。海底から奇跡的に還ってきたこの錆びついたエンジンは、彼らが確かにそこに生きていたことを伝える、郷土の大切な「形見」として今も静かにメッセージを放っています。

銀河のエンジン「誉十二型」の画像

伊良湖半島の戦争遺跡マップ

田原市の戦争遺跡・戦争関連史跡を巡る完全ガイド
戦争遺跡 アーカイブ – 道中の点検

参考文献
大崎島 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
日本軍用機写真集 2 (爆撃機) – 国立国会図書館デジタルコレクション.
爆撃機「銀河」 – 国立国会図書館デジタルコレクション.

ふるさと教育センターがオープンしました|田原市

資料などには「渥美漁業協同組合田原事務所前」とありますが、野田に移設展示されています。

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