右善坊大権現:飛鳥の行幸から戦国の砦へ
田原市小塩津町に位置し、初夏にはアジサイが咲き誇る右善坊山(うぜんぼうやま)。その緑深い中腹には、地域の信仰を千年以上もの間集め続けている高古な聖地、右善坊大権現(うぜんぼうだいごんげん)がひっそりと祀られています。『小塩津史』をはじめとする地元の記録が伝えるその歴史は、遥か飛鳥時代の皇室の足跡から、戦国時代の戦乱まで、重層的な物語を今に伝えています。
持統天皇が見惚れた入江の美。千三百年の歴史の始まり
現地の案内板によると、このお堂の起源は遥か持統6年(692年)にまで遡ります。当時、この地を訪れた持統天皇が右善坊山のふもとに広がる入江の風光絶佳な美しさを深く称え、その記念として山頂に右善坊菩薩をお祀りしたのが始まりとされています。
平安から室町期にかけて、この一帯は公家である烏丸家の所領でした。その荘官として地域を治めていたのが馬場右京之進(ばばうきょうのしん)という人物です。彼は右善坊山の南側の山裾に居館を構え、この地を管理していました。
しかし、応仁の乱を経て世が戦国へと向かう延徳年間(1489〜1491年)。平和だった一帯に戦火が忍び寄ります。田原城を築城し、戸田氏中興の祖と仰がれる戸田宗光が、この地へと侵攻(奥郡攻め)してきたのです。馬場右京之進は、この右善坊大権現を拝して山を強固な陣砦とし、戦い抜いたと伝わります。
山伏が拓いた修験の道と、神仏が習合する神秘の境内
時代の変遷とともに、右善坊大権現は修験者たちの祈りの場としても発展していきました。大権現の右脇には、修験道の開祖である役行者の姿が祀られています。これは享保10年(1725年)、山伏明宝院という高徳な修験者がこの山に入り、新たなる修験の道を開いたという歴史を今に物語るものです。
さらに、大権現の左脇には稲荷堂が佇んでいます。『渥美町史』の記述によれば、このお稲荷様は一見すると別の信仰のように見えながら、実は右善坊大権現菩薩の「分身」としてこの地に祀られたといい、神仏習合の深い精神性を色濃く残しています。
漁師たちが受け継ぐ祈り。豊穣の海を見守る商売繁盛の神
かつては山頂にあり、戦国の世を経て現在の中腹へと移された大権現。1991年に刊行された『渥美町史』によると、当時は「毎年1月19日には供養祭が行われている.」と記録されており、古くから地域に根差した年中行事として大切にされてきました。
特に、地元の漁師たちからは、大漁追福と海上安全、そして商売繁盛の霊験あらたかな守護神として、時代を越えて篤い崇敬を集め続けています。
古代の天皇家が愛した美しい自然のなかに佇むそのお堂は、激動の歴史を見つめながら、今も人々の暮らしと祈りを静かに包み込んでいます。






右善坊大権現の地図
田原市の戦争遺跡・旧陸軍試験場跡を巡る完全ガイド – 田原の旅
参考文献
馬場右京進の居城.『渥美町史 歴史編 上巻』.
渥美町史 歴史編 上巻 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
『田原の文化財ガイドⅢ 渥美半島の城館』田原市教育委員会.