伊良湖防備衛所:管制機雷を統括した監視所

美しい海岸線が続き、観光地として多くの人々が訪れる渥美半島の先端。その片隅に、かつて太平洋から押し寄せる脅威に備えた緊迫の軍事拠点が存在していました。田原市日出町骨山椰子の実記念碑から恋路ヶ浜方面へと進んだその場所に、かつて置かれていたのが伊良湖防備衛所(伊良湖水道機雷封鎖監視所)です。激動の昭和期、伊勢湾の入り口を守る要として機能した要塞の歴史を紐解きます。

潜水艦の脅威と機雷堰。太平洋戦争下で築かれた海軍の壁

『伊良湖集落移転100周年記念誌 伊良湖誌』によると、この防備衛所は太平洋戦争が激化しつつあった1942年(昭和17年)5月、日本海軍伊勢防衛隊によって設置された施設でした。

当時、紀伊半島沿岸では連合国軍の潜水艦による雷撃で船舶の被害が急増していました。伊勢防衛隊高千穂丸や哨戒艇など10隻余りの艦船を配備し、そして伊勢湾を航行する日本の船舶を必死に護衛していたのです。さらにアメリカ潜水艦の活発な動きに対抗するため、軍は渥美半島志摩半島を結ぶ伊良湖水道の沖合に、敵艦の侵入を遮断する「機雷堰(きらいえん)」の敷設を企てました。

九二式機雷が並ぶ海底。管制機雷を統括した木造の監視所

この伊良湖防備衛所の主な役割は、眼前に広がる伊良湖水道に設置された「管制機雷」の維持・管理でした。管制機雷とは、陸上からの遠隔操作によって爆発させる特殊な機雷のことです。

海軍の歴史を記した『海軍水測史』によると、この海域には「九二式機雷」が4群連なって設置されていたと記録されています。そして、同書には当時の防備衛所の様子を描いたイラストも残されており、当時は木造平屋建ての厳重な監視所から、常に海中の見張りが行われていたことが分かります。一見すると静かな海の底には、敵を迎え撃つための無数の爆発物が張り巡らされていたのです。(伊勢湾口戦斗敷設(昭和17年4月)『海軍水測史』)

海峡に響く戦争の足音。神島の暮らしへの圧迫

その一方で、この防備衛所を中心とした海域の要塞化は、軍事的な緊迫感を高めるだけでなく、周辺の島々の暮らしにも影を落としました。

伊良湖水道を挟んだ対岸の神島では、当初こそ軍の展開に伴う特別な配慮も一部にありましたが、戦争が泥沼化するにつれて安全の保証すら難しい状況に陥っていきます。神島の貴重な財源であった海鼠(ナマコ)の放養事業は中断を余儀なくされ、島民の経済や日々の営みは、戦争という巨大な渦によって激しく圧迫されていきました。

現在、当時の防備衛所の跡地は、穏やかな海を一望できる展望所として整備されています。ただ、足元にはコンクリートの遺構の一部がかすかに残るのみです。しかし、そこから見渡す美しい伊良湖の海は、かつて日本本土防衛の最前線として張り詰めた空気に包まれていた記憶を、今も静かに湛えています。

伊良湖防備衛所の画像

伊良湖半島の戦争遺跡マップ

外浜観測所:日出町の岩礁に佇む赤煉瓦の記憶
六階建:渥美半島を貫いた巨大射場と民の暮らし
一色機関銃陣地:波打ち際に佇む「怒部隊」の本土決戦陣地の跡

 参考文献
『伊良湖集落移転100周年記念誌 伊良湖誌』.2006年.伊良湖自治会.
歴史地理教育 (572) – 国立国会図書館デジタルコレクション.
海軍水測史 – 国立国会図書館デジタルコレクション.

田原市の戦争遺跡・戦争関連史跡を巡る完全ガイド

 

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