伊良湖ベトン:コンクリートの壁が語る、陸軍黎明期と戦争の記憶
「ベトン」という、どこか耳慣れない響きを持つ言葉。これはフランス語で「コンクリート(béton)」を意味する言葉です。しかし、日本の近代史、とりわけミリタリーの歴史においては、単なる建築資材の枠を超え、「敵の砲弾の衝撃に耐えるための強固な防壁」や「耐弾試験(たいだんしけん)に用いられた巨大な実験施設」そのものを指す言葉として使われていました。
1980年の映画『二百三高地』の劇中、旅順要塞の圧倒的な防御力を前に、稲葉義男さん演じる参謀長・伊地知幸介が「ベトンで固めた要塞を突撃だけでは……」と無謀な作戦を批判するシーンは、まさにこの言葉の持つ重みと、近代戦の恐ろしさを象徴する台詞として今も映画ファンの記憶に焼き付いています。
この「ベトン」と呼ばれる巨大なコンクリートの洞窟が、ここ田原市の渥美半島に今もひっそりと残されています。それが国内唯一残るといわれる耐弾試験用標的「伊良湖ベトン」です。
建軍の父としてのフランスと、ベトンと呼ばれた理由
なぜ、日本の陸軍でコンクリートのことを英語ではなく、あえてフランス語の「ベトン」と呼んだのでしょうか。その理由は、明治維新直後の日本陸軍の「建軍(組織づくり)」の歴史に深く関係しています。
幕末から明治初期にかけて、日本陸軍は軍事の先進国であったフランスを模範とし、フランス軍事顧問団を日本に招聘(しょうへい)して、戦術から軍事用語にいたるまで、徹底的にフランス式を導入して組織の基盤を築き上げました。のちに陸軍はドイツ(プロイセン)式へと方針を転換していきますが、黎明期に定着した「ベトン」という言葉や技術は、その後も陸軍の専門用語として生き続け、強固な要塞や実験施設を指す言葉として定着したのです。
厚さ2メートルの標的、弾丸を迎え撃った実験の跡
田原市教育委員会が発行した『渥美半島の戦争遺跡』によると、この伊良湖ベトンについての記述には次のように記されています。
「厚さ2メートルのコンクリート製で、弾丸をこれに向けて発射し、コンクリートがどれぐらい壊れるかを試験するためにつくられました。」
戦前、この地にあった旧陸軍の伊良湖射場(伊良湖試砲場)は、大砲の性能を試すだけでなく、敵の要塞を破壊するための砲弾の威力や、逆に敵の攻撃から身を守るためのコンクリートの強度がどれほど必要なのかを測定する、最先端の実験場でもありました。
厚さ2メートルという、人間の背丈をも超える圧倒的なコンクリートの壁。それは、激化していく近代戦の破壊力に対抗するために作られた、文字通りの「盾と矛(ほこ)」の実験の跡だったのです。
*現存するベトンは、長さ約8m、幅約3.2m、内部の高さ1.7mです。また、本来は全長24mあり、隣接して全長32m、厚さ2.5mのものもあったといわれます。
ゴルフ場の緑に佇む、消えない戦争の爪痕
かつて砲弾をその身に受け、激しい衝撃音を轟かせていた伊良湖ベトンですが、現在は「伊良湖シーサイドゴルフ場」の敷地内に、静かにその姿を遺しています。
周囲ののどかで平和な風景のなかに、現れる無機質なコンクリートの洞窟は、ここがかつて一般の立ち入りを厳しく制限された軍事の要衝であったこと、そして国の命運を賭けた戦いの準備が進められていた場所であることを、無言のままに伝えています。
渥美半島には、この伊良湖ベトンのほかにも、今なお数多くの戦争遺跡が各地に点在しています。風化しつつあるそれらの遺構は、かつてこの国が歩んだ激動の時代と、戦争の悲惨さ、そして現代の平穏の尊さを、潮風のなかで今も静かに語りかけ続けています。




伊良湖ベトンの地図
参考文献
「伝えていきたい平和の尊さ!」広報たはら.2012年8月1日号.
『田原の文化財ガイドⅤ.渥美半島の戦争遺跡』.田原市教育委員会.
伊良湖神社:国策の歴史と伊勢の息吹を宿す古社
外浜観測所:日出町の岩礁に佇む赤煉瓦の記憶
六階建:渥美半島を貫いた巨大射場と民の暮らし