鬼堕古墳:風化のなかに眠る万葉の系譜
田原市の若見町(わかみちょう)。のどかな風景が広がるこの土地に、はるか1400年以上の昔、この地を治めた一族の記憶を宿す古代の遺跡があります。それが「鬼堕古墳(きおとしこふん)」です。
昭和52年(1977年)、かつての渥美郡赤羽町(現在の田原市若見町鬼堕)において、3基からなる古墳群が発掘されました。現在は耕作地となっている猿田池の東側高台から、そのうちの1号墳と2号墳が見つかったと伝えられています。
現在、私たちが目にする遺構は、翌年の昭和53年(1978年)に、古代の遺産を後世に伝えるため、現在の場所へと移転・復元されたものです。
六世紀後半、激動の時代をともに眠った家族の絆
解説板によると、この鬼堕古墳は6世紀後半から7世紀にかけて築かれた「家族墳(ひとつの家族や一族が合葬されたお墓)」とされています。
形は直径10メートルほどの「円墳」であり、古墳時代後期から飛鳥時代にかけての、東三河地方の豪族の暮らしぶりを今に伝える貴重な窓口です。
しかし、長い時の流れのなかで、発掘された当時すでに天井石(石室の屋根となる巨石)は持ち去られており、石室の側壁も大部分が破壊されていました。それでもなお、激動の時代を必死に生き抜き、死してなお同じ場所に眠った古代の家族の確かな絆が、その石組みの跡から静かに伝わってきます。
荒波の時代を物語る、馬具と鉄器の副葬品
破壊の爪痕が残る石室内部でしたが、発掘調査の際には、当時としては極めて貴重だった数々の遺物が出土しています。
歴史の教科書でもおなじみの須恵器(すえき)の「高杯(たかつき)」や「平瓶(ひらか)」、「盌(わん)」といった美しい土器類をはじめ、当時の高度な鍛冶技術を示す鉄製品の「刀子(とうす:小型の万能ナイフ)」や、農耕に欠かせなかった鉄鍬(てつくわ)の「平根(ひらね)」や「尖根(とがりね)」が見つかりました。
さらに特筆すべきは、馬具である「くつわ(馬の口に噛ませる制御用具)」の一部が出土したことです。この渥美半島の先端に近い若見の地で、馬を駆り、鉄器を操っていた有力な一族の存在は、古代の東三河地方における豊かな生産力と、確かな権力の大きさを無言で物語っています。
寂寥のなかに佇む、消えゆく古代の灯火
かつて多くの情熱を注がれて復元された鬼堕古墳ですが、現代の時間の流れの中で、現在はその存在が少しずつ風化しつつあります。
現地を訪れると、当時の解説を記した案内板の損壊は激しく、風雨にさらされた遺構の輪郭も、草木に覆われて一見しただけでは分かりにくくなっています。
誰しもに等しく訪れる「忘却」という寂しさのなかに佇む石組み。それを見ていると、かつて若見の地で海を見つめ、土を耕し、家族を愛した古代の人々の息遣いが、切ないまでの情緒を伴って響いてきます。




鬼堕古墳(移築)の地図
麻続王の万葉歌碑、鈴木翠軒が墨に込めた故郷の海 – 田原の旅
参考文献
渥美町史 考古・民俗編 – 国立国会図書館デジタルコレクション.
渥美の古代史をさぐる – 国立国会図書館デジタルコレクション.
54453-鬼堕古墳群_鬼堕第1号墳.奈良文化財研究所.